クリストファー・コロンブスの名言・格言

クリストファー・コロンブス

アメリカ大陸への航海者、冒険者。

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「完璧を怖れる必要はない。決してそこには到達しないから」

「船の生活を送る者は、知らず知らずのうちに、なにかと世界の秘密を知りたくなるものでございます」

「富は人を豊かにはしない。それは人をより忙しくするだけだ」

「0から1を創るのは、難しい。1から2を作ることは、易しい」

金栗四三の名言・格言

金栗四三

明治から昭和期のマラソン選手で指導者。日本最初のオリンピック選手(1912年ストックホルム/1920年アントワープ/1924年パリ)

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「勝っても、負けても努力して後れても決して恥とする処ではなく男子の愉快とする処」

「しかれども失敗は成功の基にして、また他日をその恥をそそぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ」

「運動の基調となる体格の点についての根本問題として、私は夫人の運動を是非とも奨励したいと思っている」

「たとえ小さい人であっても、努力することによって、日本一、世界一になれるといういい見本になれ」

明治天皇の名言・格言

日本の第122代目の天皇(一世一元制では日本最初の天皇)。

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「日本人としての心を常に磨きなさい。たとえ世の中が安泰の時代であろうとも。」

「空に届きそうなほどの高い山であろうとも、登ろうとする想いさえあれば道はみつかるものだ。」

「たとえ他人よりも遅れをとろうとも、正しき道を踏み外してはならない」

「どれだけ家が富み飽くほどの財産を築いたとしても、この世における自身の務めを怠ってはいけない。」

陸奥宗光の名言・格言

江戸時代から明治時代に活躍した武士、外交官、政治家。

神奈川県・兵庫県知事、農商務大臣、外務大臣を務める。

不平等条約(領事裁判権の撤廃、関税自主権の回復)の改正に尽力する。

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「人より少なく苦労して、人より多くの利益を得ようとするのは、薄志弱行の者のやることだ。この考えが一度芽生えると、必ず生涯不愉快の境遇に陥る。」

「政治はアートなり、サイエンスにあらず。」

「勝者を過大評価し、敗者を過小評価するのは誠に人情の弱点なり。」

「失敗に屈せず、失敗を償う工夫をこらすべし」

東郷平八郎の名言・格言

東郷平八郎

江戸時代から昭和時代に活躍した日本の武士、海軍軍人。

連合艦隊司令長官を務める。

世界三大提督の1人に選ばれている。
アメリカのニュース誌『タイム』の表紙を飾る初の日本人となる

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「東郷は運の良い男でございます。しかるに、必ずや勝利致しましょう。」

「海から来る敵は海にて防ぐべし。」

「咲くもよし散るもよし野の山桜、花のこころは知る人ぞ知る。」

「降伏するのであれば、その艦は停止せねばならない。しかるに、敵はいまだ前進している。」

田中正造の名言・格言

田中正造

江戸時代から大正時代に活躍した日本の政治家。
地域の公害問題解決のために戦い続けた。

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「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を荒らさず、人を殺さざるべし。」

「何事もあきれて物を言わぬとも、言わねばならぬ今のありさま。」

「憎まれれば憎まれるほど、人として自信が湧いてくる。」

「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、苦労もかえって喜びになる。」

津田梅子の名言・格言

江戸時代から昭和時代に活躍した教育者。

日本における女子教育の先駆者と評される。

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「環境より学ぶ意志があればいい。」

「何かを始めることは易しいが、それを継続することはなお難しい。成功させることはなお難しい。」

「広く、深く、身を捧げて愛することを学んでください。そうすれば人生を誤ることはないでしょう。」

「人生の導き手である良い書物は、その書物のなかで語る偉人たちの言葉は、求めれば皆さんのものとなるでしょう。」

26歳の田畑政治(1924年)

朝日新聞社に入社。

会社では政治部に配属され政治家とも交流を持つようになる。
※鳩山一郎(戦後に第52・53・54代総理大臣となる)にも目をかけられるようになる

一方、水泳の指導者として「大日本水上競技連盟(現・日本水泳連盟)」の創立に参画する。

新渡戸稲造の名言・格言

江戸時代から昭和時代に活躍した日本の教育者、思想家。

農業経済学・農学の研究者。国際連盟の事務次官も務める。
妻はアメリカ人のメアリー・エルキントン(新渡戸万里子)。
東京女子大学、東京女子経済専門学校(現・新渡戸文化短期大学)の初代学長。

「勇気がある人というのは、心の落ち着きが姿にあらわれているものです。」

「武士道は知識を重んじるものではない。重んじるものは行動である。」

「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。」

「武士の教育において守るべき第一の点は品質を建つるにあり。」

小村寿太郎の名言・格言

江戸時代から明治時代に活躍した武士、政治家。

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「ことの善意は、その人の決心一つで決まる。」

「事前は滅多に、偉人や天才をこの世に下しせぬ。幾万人、あるいは幾億人に一人か、幾百年あるいは幾千年に一人しかそんな人間はでるものではない。それを書物の上で見て、そんな偉人や天才がごろごろう生まれているように想像する。それは大きな間違いである。」

「日本には、まだ外交はないのだ。真の外交はこれから起こってくるのだ。」

「私の苦労はこれからであります。私の真正の仕事はこれからである。これまではほんの準備にとどまっておりました。」

吉田茂の名言・格言

明治時代から昭和時代に活躍した日本の外交官、政治家。

内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)。

第一復員大臣、第二復員大臣、農林大臣などを歴任。

皇學館大学初代総長、学校法人二松学舎第5舎長。

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「忙しいと疲れたは自慢にならん。」

「今に立ち直る。必ず日本は立ち直る。」

「三千年、いや四千年生きたい、しかし人は死ぬ。しかし国は行き続ける。」

「大志を抱けば、天下何ものか恐るるに足らず。」

「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある。」

榎本武揚の名言・格言

江戸時代から明治時代にかけて活躍した日本の武士、化学者、政治家。

逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣を歴任。
●樺太・千島交換条約締結後にはロシアの実情を知るためにシベリアを横断した。
●海外殖民にも興味を持っており、主にメキシコへの殖民を行った。
●富山県で発見された隕石から日本刀を作らせて皇太子(後の大正天皇)に献上した。

榎本武揚の名言
「人為の階級こそ差はあれども、その教育に対するに至りては同じく共に責任を負うものなり。同じ釜の飯を食うものなり。」

「振り返ってみて五稜郭のときの苦労を思えば、外務大臣の仕事などどれほどのものでもない。」

「新政府軍恐るるに足らず。軍略をもって勝ちを制したい。」

「王政復古は日本の幸福であり私も希望するものだ。しかし、明治政府はその題目に公明正大であっても実態はそうではない。新政府軍は徳川慶喜に朝敵の汚名を着せ、ひどい扱いをし、つには城を没収し、蓄えを奪い、先祖の墓まで廃し、さらに領地を政府のものとし、慶喜は自宅を持つことさえできない。これは政府が有力諸藩の意のままになっているからであり、本当の王政とはいえない。」

大隈重信の名言・格言

江戸時代から大正時代に活躍した武士、政治家、教育者。

第8・17代内閣総理大臣。参議兼大蔵大臣、外務大臣、農商務大臣、内務大臣などを歴任。

「佐賀の七賢人」の1人。

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早稲田大学の創設者で初代総長。

「諸君は必ず失敗する。成功もあるかもしれませんけど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。」

「人間が生きるのは、社会の利益のために存在するということだ。ただ生きているのではつまらない」

「幾多の失敗を重ねたが、しかし恐縮はせぬ。失敗はわが師なり。失敗はわが大いなる進歩の一部なり。」

「学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意志の大いなる力がいる。これは勇気である。」

大久保利通の名言・格言

江戸時代から明治時代に活躍した武士、政治家。
「維新の三傑」の1人(他に西郷隆盛と木戸孝允)。

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「彼は彼、我は我でいこうよ。」

「目的を達成する為には、人間対人間のうじうじした関係に沈み込んでいたら、物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む。」

「自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない」

「国家創業の折には、難事は常に起こるものである。そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。」

ナポレオンの名言・格言

ナポレオン・ボナパルト
18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したフランスの軍人・政治家。(英語:Napoleon Bonaparte)

フランス第一帝政の皇帝。

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「じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たらなら、考えるのを止めて進め。」

「リーダーとは「希望を配る人」のことだ。」

「勝利は、わが迅速果敢な行動にあり。」

「勝利は、もっとも忍耐強い人にもたらされる。」

「有能の士は、どんな足枷をはめられていようとも飛躍する。」

エイブラハム・リンカーンの名言・格言

エイブラハム・リンカーン (Lincoln,Abraham)

アメリカ合衆国の第16代大統領。
南北戦争を終結させ、奴隷解放宣言を発布して「奴隷解放の父」と呼ばれた。
アメリカが生んだもっとも偉大な政治家であり、卓越した文学的才能の持ち主であり、広い世界観と深い道徳性を兼ね備えた人物。

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リンカーンの残した名言
Those who deny freedom to others deserve it not for themselves.
「他人の自由を否定する者は、自らも自由になるに値しない」

I am not concerned that you have fallen – I am concerned that you arise.
「あなたが転んでしまったことを心配しているのではない。そこからどう立ち上がるかが心配なのだ」

I walk slowly, but I never walk backward.
「私の歩みは遅い、しかし歩んだ道を後戻りすることはない」

It’s not the years in your life that count. It’s the life in your years.
「何歳まで生きたかは重要ではない。いかにして生きたかが重要だ」

I will prepare and someday my chance will come.
「準備しておこう。チャンスはいずれ来る」

That some achieve great success, is proof to all that others can achieve it as well. 「誰かが成功を収めることができたということは、他の人にも同じ事ができるということの証明である」

山本五十六の名言・格言

明治時代から昭和時代に活躍した日本の軍人(海軍)。第26・27代連合艦隊司令長官。

「内乱では国は滅びない。戦争で国が滅びる。」

「人は神ではない。誤りをするというところに、人間味がある。」

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」

「どんなことでも部下の失敗の責任は長官にある。下手なところがあったらもう一度使う。そうすれば必ず立派に成し遂げるであろう。」

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」

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黒田官兵衛の名言・格言

戦国時代から江戸時代に活躍した武士、大名。筑前国福岡藩の祖。キリシタン大名。

「天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり」

「まず自分の行状を正しくし、理非賞罰をはっきりさせていれば、叱ったり脅したりしなくても、自然に威は備わるものだ。」

「神の罰や主人への罰は謝れば良いけど、臣下や領民に恨まれては許してもらえず、国を失うことになる。だから下の立場の者から恨みを買うことはないようにしなければ。」

「上司の人選ミスは、仕事のミスをした部下の失敗よりも重い」

源頼朝の名言・格言

平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武士、政治家。

鎌倉幕府の初代征夷大将軍。

「自分の身を重々しく、気長に心を保つようにし、軽率な行動はすることなく、力のなさそうな的を見ても侮らず、冷静にじっくりと計画を練るようにせよ。」

「大きな野望をかなえようと考えている者は、こまkなことを咎めることをせず、ささいなことを取り立てて問題にしないのである。」

「今は天下が始まろうとしている次期であり、それがばぜ必要とされているのかの根本的な理由を、深く突き詰めて考えるべきである。」

「合戦の時は、諸国の住民の気持ちを大切にする必要がある。」

毛利元就の名言・格言

室町時代後期から戦国時代にかけての国人領主、戦国大名、毛利氏12代目当主

「一年の計画は春に立て、一ヶ月の計画はその月の一日に立て、一日の計画は朝に立てる」

「百万の心を一つにする」

「言葉は心の使いである、言葉によって、その人の善悪、才能、剛勇か臆病、利口か愚かか、正直かそうでないかがわかる」

「3人の力を一つにまとめよ」

伊達政宗の名言・格言

戦国時代の武将、出羽国・陸奥国の戦国大名、伊達氏第17代目の当主

「仁に過ぎれば弱くなる、義に過ぎれば固くなる、礼に過ぎれば諂い(へつらい)となる、智に過ぎれば嘘をつく、信に過ぎれば損をする」

「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」

「大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるが良し」

「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし、元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ」

犬養毅の名言・格言

江戸時代から昭和時代に活躍した日本の政治家。

第29代内閣総理大臣。文部大臣、逓信大臣、外務大臣、内務大臣を歴任。

「政党には、党勢拡張、政権獲得などという一種の病気がつきまとう。そのために、種々の不正手段に出たり、あるいは敵に向かって進む勇気を失ったりすることがある。これを監視し激励するのが言論に従事する人々の責任でなければならない。」

「そもそも政界百弊の根源は、選挙に莫大の金を要するがゆえなれば、まずもって現行選挙法を改正しなければならない。」

「仏教もキリスト教も道教も異途回帰で、要するに根本の信念を固めることにある。しかるに、現在の我方国民教育の不完全は、道徳の根本たる信念に導くべき教えが欠けている。」

「話せば分かる。」

西郷隆盛の名言・格言

西郷隆盛
1828年1月23日 – 1877年9月24日

西郷隆盛の名言・格言
「策略は日常的にすることではない。
はかりごとをめぐらしてやったことは、
あとから見ると善くないことがはっきりしていて、
必ず後悔するものである。
ただ戦争において策略は必要なことであるが、
日常的にはかりごとをやっていると、
いざ戦いということになったとき、
同じことはできないだろう。
蜀漢の丞相であった諸葛孔明は、
日頃策略を用いなかったから、
戦いのときに
思いもよらないはかりごとを行うことができたのだ。
私はかつて東京を引き揚げたとき、
弟(従道)に対して、
私はこれまで少しもはかりごとをやったことがないから、
跡は少しも濁ることはないだろう。
それだけはよく見ておくようにと言いおいたことがある。」

「何度も何度もつらく苦しい経験をしてこそ、
人の志は初めて堅くなるのだ。
真の男は玉となって砕けることを本懐とし、
志を曲げて瓦となって生き長らえることを
恥とせよ。

我が家の遺訓。
それは子孫のために良い田を買わない、
すなわち財産を残さないということだ。」

フローレンス・ナイチンゲールの名言・格言

フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日 – 1910年8月13日)は、イギリスの看護師、社会起業家、統計学者、看護教育学者。

近代看護教育の母。病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革

ナイチンゲールの名言・格言
「女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい。」
「愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること。」
「恐れを抱いた心では、何と小さいことしかできないことでしょう。」
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」
「犠牲なき献身こそ真の奉仕」

ナイチンゲールの記事
『クリミアの天使』と呼ばれた、改革の鬼 フローレンス・ナイチンゲール

知られざるナイチンゲールの実像「天使とは、美しい花を振り撒く者ではない」

孫正義の名言・格言

孫正義 1957年8月11日生まれ。
ソフトバンクグループの創業者。

孫正義の名言・格言
「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」
「本当の勇気は周到な用意の元に生まれる。用意の無い勇気を蛮勇という」
「我々が推進役として、世界中に情報革命を起こすのは何のためか。人々を幸せにするためです。「何のために」を忘れ去ってしまったのでは意味がない。」
「革命期には、命を投げ出してでも新しいパラダイムを切り拓いていかなければ、先頭を切るのは難しい。」
「戦略というのは「総花的になんでもやります」ということでは人数の多いところ、カネのあるところに敵わない。一点集中するしかあと追いでは勝てない。」
「自分一人のものが夢。みんなで共有できる夢が志だ。」
「事業は30年しか続かないが組織は300年続く。」
「坂道は、いかに苦しくても登っている時が一番楽しい。」
「事を起こすのが起業家、事を成すのが事業家、事を治めるのが経営者。」

パブロ・ピカソの名言・格言

パブロ・ピカソ
1881年10月25日 – 1973年4月8日)は、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。

ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。

パブロ・ピカソの名言・格言

「明日描く絵が一番すばらしい」

「絵画は、部屋を飾るためにつくられるのではない。画家(私)は古いもの、芸術を駄目にするものに対して絶えず闘争している」

「労働者が仕事をするように、芸術家も仕事をするべきだ」

「誰でも子供のときは芸術家であるが、問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」

「昔、母は私にこう言った。お前が軍人になれば、将軍となるでしょう。修道士になれば、法王となるでしょう。そして私は画家となり、ピカソとなった」

「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」

「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」

ウォーレン・バフェットの名言・格言

ウォーレン・エドワード・バフェット(英語: Warren Edward Buffett)

アメリカの投資家、経営者、資産家、慈善活動家。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEO
「喜んで10年間株を持ち続ける気持ちがないのなら、たった10分間でも株を持とうなどと考えるべきですらない。」

「今日や明日、来月に株価が上がろうが下がろうが、私にはどうでもいい。その会社が10年、50年経っても欲しいと皆が思うものを作っているかどうかが重要だ。」

「株は単純。みんなが恐怖におののいているときに買い、陶酔状態の時に恐怖を覚えて売ればいい。」

「私は事業家であるゆえに、より良い投資を行うことができる。そして、私は投資家であるゆえに、より良い事業を行うことができる。」

「私自身は投機は成功しないと思っている。」

スティーブ・ジョブズの名言・格言

スティーブ・ジョブズ
1955年2月24日 – 2011年10月5日

アップル社の共同設立者の一人である

 

スティーブ・ジョブズの名言・格言

Stay hungry. Stay foolish.

過去ばかり振り向いていたらのではダメだ。
自分がこれまで何をして、
これまでに誰だったのかを受け止めた上で、
それを捨てればいい。

墓場で一番の金持ちになることは
私には重要ではない。
夜眠るとき、
我々は素晴らしいことをしたと言えること、
それが重要だ。

当時は分からなかったが、
アップル社に解雇されたことは、
私の人生で起こった
最良の出来事だったと後に分かった。
成功者であることの重さが、
再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。
何事につけても不確かさは増したが、
私は解放され、
人生の中で最も創造的な時期を迎えた。

この地上で過ごせる時間には限りがあります。
本当に大事なことを
本当に一生懸命できる機会は、
二つか三つくらいしかないのです。

旅の過程にこそ
価値がある。

徳川家康の名言・格言

徳川家康

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。
江戸幕府の初代征夷大将軍。

徳川家康の名言・格言

人の一生は、
重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。
急ぐべからず。

堪忍は無事長久の基、
怒りは敵と思え。

戦いでは強い者が勝つ。
辛抱の強い者が。

多勢は勢ひをたのみ、
少数は一つの心に働く。

人は負けることを知りて、
人より勝れり。

愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。
でなければ、聴くに値することを言う者までもが、発言をしなくなる。

出展;http://iyashitour.com/archives/20274

織田信長の名言・格言

織田信長

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。

尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、力をつけ、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑えて戦国乱世の終焉に道筋をつけた。

織田信長の名言・格言

理想を持ち、信念に生きよ。
理想や信念を見失った者は、
戦う前から負けているといえよう。
そのような者は廃人と同じだ。

必死に生きてこそ、
その生涯は光を放つ。

組織に貢献してくれるのは「優秀な者」よりも「能力は並の上だが、忠実な者」の方だ

いつの時代も変わり者が世の中を変える。異端者を受け入れる器量が武将には必要である。

人間の50年の生涯は儚いものだ。死なない者は存在しない。

水木しげるの名言・格言

水木 しげる(1922年3月8日 – 2015年11月30日)は、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。

大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身、東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた。
1958年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。
従軍し、片腕を失った経験から反戦活動も行なう。

水木しげるの名言・格言

戦争で片腕を失っても
絶望なんてしなかった。
だって生きてるんだから。

運なんてものはない。
あるのは突撃力だけ。

弱い人は逃げ出すけれど、
人間はこうなると思えばなる。

突撃力さえあれば、
何でも成し遂げられる。

しないではいられないことを、
し続けなさい。

他人との比較ではない、
あくまで自分の楽しさを追及すべし。

苦しむことから
逃げちゃイカン。

人生はずっと
苦しいんです。

苦しさを知っておくと、
苦しみ慣れする。
これは強いですよ。

幸福の七ヶ条
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

出典
http://systemincome.com/tag/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B
http://earth-words.org/archives/7429
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B

杉原千畝の名言・格言

杉原千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日)は、日本の官僚、外交官。

第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。

杉原千畝の名言・格言

世界は大きな車輪のようなものですからね。
対立したり、あらそったりせずに、
みんなで手をつなぎあって、
まわっていかなければなりません…。

私のしたことは外交官としては、
間違ったことだったかもしれない。
しかし 私には頼ってきた何千人もの人を
見殺しにすることはできなかった。
大したことをしたわけではない。
当然のことをしただけです。

参考;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
http://www.chiunesugihara100.com/visa-nenpy.htm

サン=テグジュペリの名言・格言

サン=テグジュペリ(A1900年6月29日 – 1944年7月31日)は、フランスの作家、操縦士。『星の王子さま』などの著作で有名。
郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。

名言・格言

愛、それはただ互いに見つめ合うことではなく、
ふたりが同じ方向を見つめることである

救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。
そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ

計画のない目標は、ただの願い事にすぎない

他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい

人がそれを見つめて、
大聖堂を思い描いた瞬間、
石はただの石ではなくなる。

本当の贅沢というは、ただ一つしかない。
それは人間関係の贅沢のことだ。

生きながらえるためには、服従すべきであり、
存在しつづけるためには、戦うべきである。

未来とは、予知しようとするものではなく、
自分で可能にするもの。

僕の命を救ってくれたのは、他でもない。
このささやかなほほ笑みだったんだ。

参考;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%86%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AA
http://pliocena.com/ticket/saint/antoin_c.html

高杉晋作の名言・格言

高杉晋作(1839年9月27日ー1867年5月17日)は、江戸時代後期の長州藩士。
幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

高杉晋作の名言・格言

おもしろきこともなき世をおもしろく

「朝に人としての道を悟ることができれば、
その晩に死んでも悔いはない」
という事こそが人の道である。
人としての努力をすることもなく、
ただ死に向かうのは人の道ではない。

苦しいという言葉だけは
どんなことがあっても
言わないでおこうじゃないか。

真の楽しみは
苦しみの中にこそある。

過ちを改めれば、
それは過ちではないのだ。

今さらに なにをかいわむ 遅桜
故郷の風に 散るぞうれしき
先生を 慕うてようやく 野山獄

参考;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%89%E6%99%8B%E4%BD%9C

知里幸恵の生涯

知里幸恵(ちり ゆきえ、1903年(明治36年)6月8日 – 1922年(大正11年)9月18日)は、北海道登別市出身のアイヌ人女性。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ民族・アイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。


参考;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E9%87%8C%E5%B9%B8%E6%81%B5
 http://www9.plala.or.jp/shirokanipe/nenpyou.html

アラン・チューリングの名言・格言

アラン・マシスン・チューリング(Alan Mathison Turing, 1912年6月23日 – 1954年6月7日)はイギリスの数学者、論理学者、暗号解読者、コンピュータ科学者。

コンピュータ科学および(チューリング・テストなどからは)人工知能の父とも言われる。

(出典アラン・チューリング – Wikipedia)

アラン・チューリングの名言

「ヒトの代わりに考える機械をつくることはできない。」

アルフレッド・ノーベルの名言・格言

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 – 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。

350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使った。
(出典アルフレッド・ノーベル – Wikipedia)

アルフレッド・ノーベルの名言・格言

“毎年、賞金というかたちで、人類に対してもっとも貢献したと思われる人物に賞をあたえてほしい。いうまでもなく、賞をあたえるうえで候補者の国籍はまったく関係がない。”

“仕事があれば、そこが我が祖国。仕事はどこにいてもできるのです。。”

“人生は気高いもの。自然から授かったこの宝石を人は磨く。
輝く光がその労に報いてくれる”

“この世の中で悪用されないものはない。
科学技術の進歩はつねに危険と背中合わせだ。
それを乗り越えてはじめて人類の未来に貢献できるのだ”

松下幸之助の名言・格言

松下幸之助(まつした こうのすけ/1894年11月27日-1989年4月27日)は、和歌山県出身の実業家・発明家・技術者。

日本を代表する電機メーカー「パナソニック」(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者であり、「経営の神様」とも称されている人物。

松下幸之助の名言・格言

“失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで、あきらめてはいけないのである。”

“石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。”

“たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。”

吉田秀雄の名言・格言

吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 – 1963年1月27日)は、電通の経営者。広告の鬼と呼ばれ、日本の広告業界の発展に尽力した。

電通鬼十則

1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2、仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3、大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6、周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7、計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。
9、頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10、摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

三浦知良の名言・格言

三浦知良(みうら かずよし、1967年2月26日 – )は、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手。
通称「キング・カズ」
選手であることにこだわり、日本サッカー界を大きく牽引してきた。

三浦知良の名言・格言

“市選抜にも、県選抜にも. 東海選抜にも. 選ばれなかった人間が
後で世界選抜に選ばれたわけです”

“相手はいるんだけど、敵は自分自身なんだよね。”

“弱気になる事もあるけど、サッカーが好きだし、グランドに立つのが好きだし。選手以上のポジション(仕事)が考えられない。”

安室奈美恵の名言・格言

安室奈美恵(あむろ なみえ、1977年9月20日 – )は、日本の女性歌手、ダンサーである。

ライブでは2015年4月時点まで、544公演を行い、計約345万人を動員

安室奈美恵の名言・格言
“私は、ひとつのことがうまくいったからといって現状維持しようと守りに入りたくない。リスクを恐れず、現状維持ではないことをあえて選択してでも、常に挑戦し続けたいんです。”
出典More 2010年5月号

“簡単にダメだと折れるのか、それとも「どうにかしてやろうじゃん」と立ち上がるのか。私は後者の方が楽だと思う。”
出典GINGER 2009年6月号

“自分に自信を持つことはすごく勇気のいること。だって、それだけのことをしなきゃいけないから。責任もあるし、責任をとれる自分であるかどうかも不安になっちゃうけど、それも勢いとハッタリが後押しをしてくれる!結果ダメだったとしても、『きちんと尻拭いはします』っていう態度でいないと、何をするにも無理ですよね。やっぱり好き勝手して、逃げちゃいそうな人には誰もついていかないから。”
出典Mina 2008年8月20日号

“母のことがあってからはずっと辛かった。なんでこんなに濃い人生なんだろう。もう仕事も“安室奈美恵でいること”もやめたいと思っていました。だけど、今がどん底だとすれば、これ以上悪くなることはないはず。そう思うと、少しずつ楽になれました。”
出典AERA 2008年5月号

司馬遼太郎の名言・格言

司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 – 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。

産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。

司馬遼太郎の名言・格言

男というものは思慮きわまれば、
常識、情勢をもって判断すべきではない。
男たる者の道をもって判断すべきだ。

人間にとって、その人生は作品である。

人間は決して、孤立して生きられるようには、作られていない。

ロバート・キャパの名言・格言

ロバート・キャパ1913年10月22日 – 1954年5月25日)は、ハンガリー生まれの写真家。

本名はフリードマン・エンドレ・エルネー。フランス語読みのアンドレ・フリードマンの名で呼ばれることも多い。
同じく写真家で、1974年にICPを創設したコーネル・キャパは弟。

スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の5つの戦争を取材した20世紀を代表する戦場カメラマン、報道写真家として有名である。
「ロバート・キャパ」と銘打たれた初期の作品群は、実際には、親しくしていたゲルダ・タローとの共同作業によるものである。
スペイン内戦で親交を持ったヘミングウェイ、アルジェで知り合ったスタインベック、ピカソら多方面の作家・芸術家たちとの幅広い交際も有名である。

 

ロバート・キャパの名言・格言

君がいい写真を取れないのは、 あと半歩の踏み込みが足りないからだよ。

撮影する人間を好きになれ、そしてそれを相手に伝えろ。

生き残る確率が50%もあるなら、 僕は迷わずパラシュートで降りて、 写真を撮りにいく。

戦場カメラマンの一番の願いは、 失業することなんだよ。

そばにいるのにその周囲で起きている苦しみを記録することしかできないというのは必ずしも気楽なものではない。

オスカー・シンドラーの名言・格言

オスカー・シンドラー(Oskar Schindler、1908年4月28日 – 1974年10月9日)は、メーレン(当時オーストリア領、現チェコ領)生まれのズデーテン・ドイツ人の実業家。第二次世界大戦中、ドイツにより強制収容所に収容されていたユダヤ人のうち、自身の工場で雇用していた1,200人を虐殺から救った。
本人にまつわる名言
「たった一つの命を救うものは、全世界を救うのである」
助けたユダヤ人から送られた名言である。

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桜井和寿の名言・格言

桜井 和寿(さくらい かずとし、本名:櫻井 和寿(読み同じ)、1970年3月8日 – )は、日本のミュージシャンであり、Mr.Childrenのボーカリスト、ギタリストである。

東京都練馬区出身。アマチュア時代から一貫してMr.Childrenの楽曲の殆どの作詞、作曲を手掛けている。 2004年からはBank Bandとしても活動
トータルセールス(CD総売上枚数):5,861.6万枚(2015年2月時点・歴代2位)

桜井 和寿の名言・格言

何かのせいにするのではなく、発想を転換することでポジティブに、明るくなれる。それを提案みたいな感じでやっている。それが今のミスターチルドレンの音楽だと思う。

昨日の自分より、今日の自分を好きになれれば良いと思う。

幸福になりたい”っていう言葉を使っているうちはいつまでも幸福じゃないんじゃないかと。でも至福は至っているわけで、今ある状態で自分は十分に幸せだと思えていることが至福ということですね。

事件とか悲しいニュースの責任追及をするのではなくて、自分の内面にもその責任や原因の一端があるんじゃないかということを常に意識していたい。

人は簡単には理解しあえないそれでも僕は伝えたい

こうやって明かりを消すことによって普段は見えない何かが、見えてくると思うんです。

『あきらめる』とは『明らかに見極める』。

僕は笑者でありたい

田中角栄の名言・格言

田中 角栄(たなか かくえい、1918年(大正7年)5月4日 – 1993年(平成5年)12月16日)は、日本の政治家、建築士。

衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)等を歴任した。

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田中角栄の名言・格言

「政治は数であり、数は力、力は金だ」
「俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる世の中をつくることなんだ」
「これからは東京から新潟へ出稼ぎに行く時代が来る」

中村俊輔の名言・格言

中村俊輔
1978年6月24日 – 現在
日本のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。J1・横浜F・マリノス所属。元日本代表。

中村俊輔の名言・格言・語録

「足りないものがわかれば、それを埋めることを考えればいい。何もわからないより、よっぽど素晴らしい。」

「満足すると、痛い目にあう。」

「『平均的に色んなことができる』は武器になる。」

「壁が見えるときはまだいいほうだ。それを乗り越えればいいだけだから。」

「僕は悔しさを味わいたくて、日本を出た。」

「妥協してこなかったから、今の自分がある。」

「誰よりも練習する事。それが必ず自信になる。」

アドルフ・ヒトラーの名言・格言

アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889年4月20日 – 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。ヒットラーとも表記される。指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いた。

ヒトラーの残した言葉

「大衆の多くは無知で愚かである」

「熱狂する大衆のみが操縦可能である。」

「圧制はただ圧制によってのみ、そしてテロはただテロによってのみ破ることができる」

「人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ。」

「わたしは間違っているが、世間はもっと間違っている」

手塚治虫の名言・格言

手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治(読み同じ)、
1928年11月3日 – 1989年2月9日は、日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。
大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医師免許取得、のち医学博士(奈良県立医科大学・1961年)。血液型A型。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け存在として活躍。
デビューから1989年の死去まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。

手塚治虫の名言・格言

“人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ”

“人生は一人じゃない。二人三脚で走らねばならんこともある。”

“人の命なんて、心配してもしなくても、終わる時には無情に終わるもの。”

“物語はここから始まるのだ。”

“ぼくたちは、かけがえのない地球に「同乗」している、仲間です。”

“最後まで努力をするってのが、本当の生き甲斐ではないでしょうか。”

“僕の体験から言えることは、好きなことで、絶対にあきないものをひとつ、続けて欲しいということです。”

“後世に残る作品をなどと気張らず、百歳まで描きたい。”

“名声も財産もできてあぐらをかいてしまうと、
逆に面白くなくなるわけです。”

“人間の「善」が、常に「悪」よりも先んじてほしいものです。”

“今ここで自分が描かなければ、誰が描くんだろう。”

“三十年たって振り返りもされない建築はまずいと思うんです。
漫画だって三十年たっても読まれなけりゃ本物じゃないと思ってるんです。”

“合理化はゆとりや遊びの空間を消して、むしろ人を遠ざけることになります。”

“インプットがないのに、アウトプットは出来ません。”

“漫画に必要なのは風刺と告発の精神である。”

“医者は生活の安定を約束していた。しかし、僕は画が描きたかったのだ。”

“人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。”

“時代は移り変わっても、子供たちの本質は変わらない。”

赤塚不二夫の名言・格言

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄、1935年(昭和10年)9月14日 – 2008年(平成20年)8月2日)は、日本の漫画家。

1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。その後石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。以後作品発表の舞台を漫画雑誌に移し、1962年に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』の大ヒットで一躍人気作家となる。1967年に代表作である『天才バカボン』の爆発的ヒットと、その後の『もーれつア太郎』『レッツラゴン』といった一連のヒット作や長期連載作品等により「ギャグ漫画の王様」と謳われ、戦後ギャグ漫画史の礎を築いた。

赤塚 不二夫の名言・格言

なにを落胆してるんだ。
バカだからこそ
真実を語れるんじゃないか!

バカボンのパパってさ、
別にラクして生きてるわけじゃないんだよ。
どうすれば家族を幸せにできるかを考えながら
一生懸命ガンバってるわけ。

世の中に友情と欲情ほど良いものはない。

バカっていうのは自分がハダカになることだ。
世の中の常識を無視して、
純粋な自分だけのものの見方や生き方を
押し通すことなんだよ。
バカだからこそ語れる真実っていっぱいあるんだ

タモリの名言・格言

日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、作詞家、作曲家、作家、実業家。本名:森田 一義(もりた かずよし)。

タモリの名言・格言

名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです

まあ、私も結構活躍してるみたいなんですけども、宇宙から見たらもうどうでもいいですね

ストレスはね、発散することはできません。溜まる一方だからストレスを忘れるしかない

やる気のある者は去れ

俺のやる事に意味なんかあるわけないだろ!

真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!

人間って「自分がいかに下らない人間か」ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな

人見知りじゃない奴は面白くない

高柳健次郎の名言・格言

高柳 健次郎
1899年1月20日 – 1990年7月23日
日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。

高柳 健次郎の名言・格言・語録

「こつこつ努力の大切さ」

「10年先、20年先を目指せ」

「幸運の女神には前髪があるが、後ろ髪がない」
幸運は後から追いかけて捕まえようとしても、決して捕まえられない。前から、待ちかまえていて前髪をつかめば、捕まえられる。

「人工天才」
1人の天才に対して、一つの目的に結集した多人数の知恵は天才的な力を発揮する。

「天分に生きる」
“人にはそれぞれ才能がある。それを生かして世の中のためになるような人間として生きること。”