1924年(大正13年) 第8回オリンピック(パリ)にも日本代表選手として参加。マラソン競技に出場したが、32km付近で意識不明となり完走はならなかった。
これ以降、四三は競技人生から引退し、後輩の指導に本格的に取り組むようになる。
タグ: 33歳あの人は何をしていたか
33歳の陸奥宗光(1877年)
西南戦争が勃発。
この時に、陸奥は西郷隆盛に呼応し政府転覆を謀った土佐立志社の林有造らと連絡を取っていたことが発覚し、禁固5年の刑を受けて山形で投獄される。
投獄中には妻・亮子に手紙を送るほか、英国の哲学者ジェレミ・ベンサムの著作の翻訳にも打ち込む。
33歳の大久保利通(1863年)
薩英戦争の勃発。
大久保は薩英戦争の作戦指揮にあたっていた。
33歳のエイブラハム・リンカーン(1842年)
1842年11月4日、ケンタッキーの著名な銀行家の娘、メアリー・トッドと結婚。彼女は野心家で感情的になりやすく激しやすい性格であったという
33歳の山本五十六(1917年)
腸チフスと虫垂炎にかかり、生命の危機に陥る。
故郷の長岡で休養した後、友人の紹介で三好礼子と見合いし結婚。
33歳の源頼朝(1180年)
後白河法皇の皇子・以仁王から平家追討の令旨(命令書)が届く。
京都の宇治で以仁王が敗死したことで、頼朝はしばらく動かなかったが、平家が源氏追討を企てたことで挙兵を決意する。
しかし、相模国真鶴(現 神奈川県小田原市)で平家方に敗れ、安房国(千葉県南部)に逃れた。
安房国へ逃れたものの、房総半島に勢力を持っていた上総氏や千葉氏を配下にし、さらに武蔵国でも配下を増やすと鎌倉へ向かう。
そして、平維盛(清盛の孫)を富士川の戦いで破った。
さらに、全国各地の源氏が平家打倒のため挙兵する。
33歳の伊達政宗(1601年)
初代仙台藩主となる。
33歳のフローレンス・ナイチンゲール(1853年)
ロンドンの慈善病院に就職し、監督者となった。
翌年、34歳で書き上げた自伝的小説『カサンドラ』(未出版)では、神からの啓示を実行するために結婚を断ったこと、看護の道へ進むことに反対する母との確執から神経衰弱に陥ったこと、そして自殺願望があったことまでが赤裸々に綴られている。
33歳のパブロ・ピカソ
総合的キュビスムで蘇った色彩を更に豊かにして、緑色を基調とした装飾的な作品を描き始めました。その優雅な表現から、18世紀の華やかな芸術文化ロココに喩えて、ロココ的キュビスムと呼ばれている。
《若い娘の肖像》
翌年1915年の作品
《アルルカン》
33歳の織田信長
妹のお市の方を近江国の浅井長政の正妻に送り込み、同盟を結ぶ。
斎藤龍興を攻め、美濃国を手中におさめる。本拠を岐阜城に移転。
33歳の徳川家康
信長の協力のもと長篠の戦で破る。
家康は戦勝に乗じて光明・犬居・二俣といった城を奪取攻略し、殊に諏訪原城を奪取したことで高天神城の大井川沿いの補給路を封じ、武田氏への優位を築いた。
33歳の杉原千畝
満洲国外交部では政務局ロシア科長兼計画科長としてソ連との北満洲鉄道譲渡交渉を担当。鉄道及び付帯施設の周到な調査をソ連側に提示して、ソ連側当初要求額の6億2,500万円を1億4,000万円にまで値下げさせた。
ソ連側の提示額は、当時の日本の国家予算の一割強に値するものであり、杉原による有利な譲渡協定の締結は大きな外交的勝利であった。
33歳のサン=テグジュペリ
航空機製造会社になったラテコエール社のテストパイロットになる。水上機の着水ミスで辛うじて脱出するが、これで解雇される。
33歳のアラン・チューリング
戦時中の功績が認められ大英帝国勲章(OBE)を授与。
ある専門家によると、チューニングの暗号解読によって、数百万人の命が救われ、また戦争が約2年早く終わることになったといわれている。
33歳のアルフレッド・ノーベル
不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明
33歳の松下幸之助
電熱部門を設置して電気アイロン、ストーブ等の生産販売開始
角型ランプにはじめて「ナショナル」の商標をつけて発売
はじめて新聞に3行広告を出す
翌年には月販売額10万円突破、従業員300名に。
33歳の三浦知良
1999年京都パープルサンガに移籍。2000年5Jリーグ通算100得点を達成。33歳ながら17得点を記録し得点ランキング3位に入るなど活躍する。しかしこのシーズン、京都は降格し、自身2回目であるゼロ円提示を受ける。
33歳の司馬遼太郎
「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞を受賞し、出世作となる
33歳の田中角栄
大野市郎や亘四郎の地盤であった(長岡鉄道沿線の)三島郡で支持を広げることとなった。この効果も寄与し、田中は1952年10月の第25回衆議院議員総選挙では初めてトップ当選を果たしている。
33歳のロバート・キャパ
アメリカ市民権を獲得し、イングリッド・バーグマン(スエーデン出身のアカデミー賞を受賞した女優)やピカソら著名人を撮影した。
特にバーグマンとは恋仲になったものの、結婚するまでに至ることはなく別れている。
33歳の桜井和寿
掌/くるみ
リリース
小林武史、坂本龍一らと非営利組織「ap bank」を設立。
33歳の手塚治虫
アニメーション制作のため「手塚治虫プロダクション動画部」を設立。翌年「株式会社虫プロダクション」(以降虫プロ、旧虫プロ)として法人化。社長は手塚自身が務めた
33歳のトーマス・エジソン
発電機の発明
33歳の渋沢栄一
大蔵省を辞める。第一国立銀行開業・総監役。
渋沢栄一は、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。抄紙会社創立(後に王子製紙会社・取締役会長)。
33歳のカール・マルクス
ニューヨークで発行されていた当時20万部の発行部数を持っていた急進派新聞『ニューヨーク・トリビューン』のロンドン通信員に。借金に追われるマルクスにとっては重要な収入源だった。マルクスは英語が不自由だったので記事の執筆にあたってもエンゲルスの力を随分と借りたようである。
33歳の土方歳三
幕臣に取り立てられる。しかし同年10月14日、徳川慶喜が将軍を辞し大政奉還。12月9日に王政復古の大号令が発せられるに至り、幕府は事実上崩壊。
33歳の福澤諭吉
蘭学塾を慶應義塾と名付け教育活動に専念し、三田藩他の藩士を大量に受け入れる
33歳の坂本龍馬
土佐藩参政後藤象二郎と会談。亀山社中を土佐藩外郭組織とし「海援隊」と改称。
この時「世界の海援隊でもやりますかな」と言ったとされている。
購入した海援隊運用船いろは丸が紀州藩船と衝突して沈没。御三家紀州藩に8万3526両198文の損害を賠償させる。
後藤象二郎とともに船中八策を策定。
薩土盟約成立。
大政奉還成立の1ヶ月後、京都の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲撃され暗殺される。