《帽子をかぶって座る老人》
タグ: 1970年あの人は何をしていたか
幼少期の桜井和寿
桜井和寿 1970年3月8日東京に生まれる
勉強はできなかったが、親は勉強については文句を言わず、
教育方針は、「何か一つみんなより自信を持って
優れていると言えるようなものを身につけろ」ということだったという。
体育だけは一生懸命。
音楽は女がやるものだと思い込んでいて、
音楽の時間に絶対に歌わない姿勢を貫き、
音楽の先生から往復ビンタ20発ぐらいくらったけど、
それでも歌わなかったという。
「ROCKIN’ON JAPAN1995年2月号:桜井和寿インタビュー」より
35歳の赤塚不二夫
母親が不慮のガス爆発事故で入院。一命は取り留め一時退院するものの、ショックからクモ膜下出血を発症して再入院となりその後容態が急変するも赤塚の懸命の呼びかけで再び息を吹き返すが、脳死状態となり8月20日に59歳で死去した。[21]この年に妻と別居状態となり、12月にはスタジオ・ゼロが事実上の解散となった。
71歳の高柳健次郎
日本ビクター代表取締役副社長就任。73年には日本ビクター技術最高顧問に就任。