18歳の津田梅子(1883年)

桃夭女塾の英語教師となる。

アメリカから帰ってきた梅子だったが、当時の日本は女性が働ける場所が無かった。
また、梅子自身も日本語が通訳なしでは話せなくなっていた。

一方、伊藤博文から招待され、伊藤への英語指導ならびに通訳のために伊藤家に住むことになる。
また、私塾・桃夭女塾を開設していた下田歌子を紹介されて、梅子はこの塾の英語教師となる。