40歳のフローレンス・ナイチンゲール(1860年)

看護と衛生の大切さを広く一般に伝承することにも力を注ぎ、『看護覚え書(Notes on Nursing)』を出版。
クリミア戦争中に創設された「ナイチンゲール基金」に集まった5万ポンドで、ロンドンの聖トマス病院内にナイチンゲール看護学校が設立され、ナイチンゲールは指導者として後継者の育成に努めるようになる。
これを境に英国各地に同様の看護婦養成学校が作られるようになり、現在に近い看護婦養成体制が整えられる礎となった。

25歳の福澤諭吉

咸臨丸の従者としてアメリカへ立つ。帰国し、蘭学塾から英学塾へと方針を転換する。この時同行した木村摂津守とは晩年まで親交があった。後に慶應義塾の土地を用意したのも木村であった。
アメリカでは文化の違いに驚きをもった。日本では徳川家康など君主の子孫がどうなったかを知らない者などいないのに対して、アメリカ国民がジョージ・ワシントンの子孫が現在どうしているかということをほとんど知らないということについて不思議に思ったことなどを書き残している。