35歳のフローレンス・ナイチンゲール(1855年)

新陸軍省は衛生委員会を組織し、現地へ調査団を派遣した、そして、ナイチンゲールの報告どおり、病院内を衛生的に保つことを命令した。この命令の実施により、2月に約42%まで跳ね上がっていた死亡率は4月に14.5%、5月に5%になった。兵舎病院での死者は、大多数が傷ではなく、病院内の不衛生(蔓延する感染症)によるものだったと後に推測された。

20歳の岩崎弥太郎

江戸遊学で安積艮斎の塾に入塾するが、父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。父の冤罪を訴えたことにより弥太郎も投獄されるが、この時、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁となった。

20歳の福澤諭吉

中津へ戻るようにとの知らせが届く。しかし諭吉本人は前年に中津を出立したときから中津へ戻るつもりなど毛頭なく、大坂を経て江戸へ出る計画を強行する。
大坂へ到着すると、かつての父と同じく中津藩蔵屋敷に務めていた兄を訪ねる。すると兄から「江戸へは行くな」と引き止められ、「大坂で蘭学を学ぶ」よう説得されれ、大坂の中津藩屋敷に居候しながら緒方洪庵の適塾で学ぶ。

21歳の坂本龍馬

1855年

父、八平と死別

八平は、龍馬が江戸に剣術留学のため出立するさいには、忠孝を忘れることなく修行に励み、金銭を費やさない、色情に心を移し国家の大事を疎かにすることのないように、という意味からなる三箇条をうたった『修行中心得大意』を送った。

龍馬が死別に際して詠んだとされる句

感涙とどめず、

遥か江戸の地より拝し、

龍馬かならずこの恩に報うべし、

と天地神明に誓ふ。