56歳の東郷平八郎(1904年)

日露戦争の勃発。

東郷は連合艦隊司令長官として旗艦「三笠」に乗り、旅順口攻撃(2月から5月)や黄海海戦(8月)で指揮をとった。
※旗艦とは司令長官が乗っている軍艦

翌年の5月27日には日本海海戦でロシア海軍のバルチック艦隊と戦い、敵の旗艦を撃沈させるばど日本海軍の勝利に貢献する。

日露戦争の勝利は日本だけでなく、ロシアの脅威にさらされていたオスマン帝国からも喜ばれ、同国民からは英雄として知られるようになった

10歳の松下幸之助

下駄屋を畳んだため、尋常小学校を4年で中退し、単身大阪の宮田火鉢店に丁稚奉公に出される。1904年、9歳のころのことであった。
翌年、奉公先を五代自転車に移した。後のパナレーサー設立のきっかけになった。自転車屋奉公時代、店に来た客にたびたびタバコを買いに行かされた。その際いちいち買いに出かけるより纏め買いして置けば、すぐタバコを出せる上、単価も安くなるため、これを利用して小銭を溜めた。これが丁稚仲間から反感を買い、店主にやめるよう勧められたために纏め買いはやめる。この頃から商才を顕すと共に、独り勝ちは良くないとも気づくようになった。