1953年(昭和28年) 四三の弟子である山田敬蔵がアメリカの権威あるボストン・マラソン第53回大会で優勝(2時間18分51秒=当時の世界記録)
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62歳の田中正造(1903年)
1903〜1908年にかけて、谷中村の貯水池ならびに藤岡町への合併案に対し抗議し続ける。
谷中村議会は藤岡町への合併を否決するも政府の圧力によって村民は村を出た。正造は村の廃止当日まで村に住み続けた。
62歳の田畑政治(1960年)
ローマ五輪の開催。
競泳は銀3・銅2で金メダル獲得はできなかった。
62歳のアルフレッド・ノーベル
健康状態が悪化したため、パリにて遺言状を書く。
財産の大部分をあてて国籍の差別なく毎年授与するノーベル賞を創設するとした遺言状に署名した。税と個人への遺産分を除いた全財産の94%、3122万5千スウェーデン・クローナを5部門のノーベル賞創設に割り当てている。
遺言で賞を授与するとされた分野のうち最初の3つは物理学、化学、医学または生理学だった。4つめは「理想的な方向性の (in an ideal direction)」文学とされ、5つ目は軍縮や平和推進に貢献した個人や団体に贈るとされている。
62歳の赤塚不二夫
「まんがバカなのだ 赤塚不二夫展」が開催され、好評を博す。
デビュー前の貴重な習作から1990年代初頭までの間に描かれた名作、怪作、およそ200枚に及ぶ美麗な生原稿が展観出来るだけではなく、赤塚自ら肉体を駆使し、挑戦したエドヴァルト・ムンク、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エドガール・ドガ、フィンセント・ファン・ゴッホといった歴史上の画家のパロディ・アートも展示。
同年、吐血し緊急入院。精密検査の結果、食道がんと診断され22日に告知を受ける。医師から「2か月後には食べ物がのどを通らなくなる」と告げられ、「食道を摘出し小腸の一部を食道の代用として移植する」と今後の手術・治療の内容も告げられたが「小腸を食道に使ったら、口からウンチが出てきちゃうんじゃないの。」とギャグで返す気丈さを見せて24日には退院を強行
1998年には驚きももの木20世紀にて特集