1891年(明治24年)8月20日 熊本県春富村(現熊本県玉名市)に生まれる。
父が43歳の時の子供で「シゾウ(シソウ)」と名付けられた。
タグ: 1891年あの人は何をしていたか
47歳の陸奥宗光(1891年)
足尾銅山鉱毒事件が起こる。
※栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた公害事件
この事件で衆議院議員で立憲改進党の田中正造が国の責任を追及した際に、陸奥が対応し「質問の趣旨が分からない」と回答する。
※足尾銅山の経営者・古河市兵衛の養子には陸奥の次男がいた
50歳の田中正造(1891年)
第2回帝国議会の開催。
正造は鉱毒問題に関して質問を行うが、農商務大臣・陸奥宗光から「質問の趣旨が分からない」と返答される。
29歳の新渡戸稲造(1891年)
札幌農学校の教授となる。
教授時代には稲造の最初の著書『日米通交史』がジョンズ・ホプキンス大学から出版される。
58歳のアルフレッド・ノーベル
ゾフィーが他の男(ハンガリー人の騎兵隊の将校)の子供を宿していることが発覚。
29歳の森鴎外
坪内逍遥の記実主義を批判して没理想論争を繰り広げた。
51歳の渋沢栄一
東京交換所創立・委員長。
12歳のアインシュタイン
叔父からユークリッド幾何学の本をもらい独習。微分学と積分学も、この当時に独学で習得したといわれている。同じ頃、医学生だったマックス・タルメイから天文学の存在を知り、同時に物理学に関心を示すようになったという。