58歳の新渡戸稲造(1920年)

国際連盟の事務次長に選ばれる。
※教育者で『武士道』の著者として国際的に有名であったため

事務次長としては人種的差別撤廃提案の主張やバルト海オーランド諸島帰属問題(1912)の解決に力を注いだ。

稲造は事務次長を1926までの7年間務めて退任した。

58歳の吉田茂(1936年)

駐英大使に就任する。

駐英大使としてはイギリスとの親善を目指すも、東アジアでの情勢が悪化したことからうまくいかなかった。
また、広田内閣が組閣された際には、外務大臣になるはずであったが軍部の反対に合いかなわなかった。
※吉田茂は英米よりの考えをもっていたため軍部から反対をうけた

親英米の考えを持っていた吉田であったが、日独伊三国同盟には反対であった。

58歳の黒田官兵衛(1604年)

慶長9年3月20日(1604年4月19日)、京都伏見の邸で亡くなる。

遺言はシンプルで、葬儀は地味に、国を治め、民を安んじるよう長政に伝えます。

辞世の句は
おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて
 ※意訳:思い残す言葉もなくて、ついに最期の時を迎えた。この先の道にも迷わない なるがままに任せていこう

58歳のウォーレン・バフェット

コカ・コーラ株を買い始め、最終的に発行済み株式の7%を10.2億ドル相当で購入。
バフェットがコカ・コーラに投資金額は、配当金などを加味すると27年間で約16倍に成長した。年間の利益率は約11%。

58歳の田中角栄

2月 – ロッキード事件発生。アメリカの上院外交委員会で、ロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑が浮上。7月27日に、同社による全日本空輸に対する売りこみにおける5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑により、秘書の榎本敏夫などと共に逮捕される。

当時のニュース

58歳のペリー

東インド艦隊司令長官に就任、日本開国へ向けて交渉するよう依頼する大統領の親書を手渡すよう指令を与えられた。同年11月、アメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの親書を携えてバージニア州ノーフォークを出航した。フリゲート艦ミシシッピ号を旗艦とした4隻の艦隊はマデイラ諸島・ケープタウン・モーリシャス・セイロン・シンガポール・マカオ・香港・上海・琉球(沖縄)を経由した。