49歳のエイブラハム・リンカーン(1858年)

1858年6月16日、イリノイ州の共和党大会で連邦上院議員の共和党候補者として選出。その際、「分かれたる家は立つこと能わず」と演説。北部の有力政治家として初めて連邦の南北分裂に言及した

中間選挙において、奴隷制維持論者の民主党ダグラスと選挙戦を戦うことになる。全米の注目を集める。8月から10月まで計7回の立会演説会を実施。奴隷制を徹底的に批判し、その拡大に歯止めをかけるべきと主張した。選挙結果は当選しなかったものの、共和党の有力政治家として全国的に知られる存在となった

49歳の吉田秀雄

全国の開局ラッシュが本格化すると、申請者の中心であった各地方新聞社に対し、電通を通じて免許申請の手続きから、番組編成、番組制作の技術、営業の方法等に至るまでを全面的に支援、また出資協力はもとより必要があれば、地方局のスタッフとして電通社員を移籍させることまで行なった。

新聞雑誌発行部数公査機関「ABC懇談会」の創立を実現

49歳の司馬遼太郎

明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。
また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞。初期のころから示していた密教的なものへの関心は『空海の風景』に結実されている。「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。

49歳の正力松太郎

ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらが参加した大リーグ選抜チームを招聘した。アマチュア野球しか存在しなかった日本側でも全日本チームが結成された。後に同チームを基礎として大日本東京野球倶楽部(現讀賣巨人軍)が創設され

49歳のトーマス・エジソン

自動車王のヘンリー・フォードと出会う。
当時はフォードはエジソン電灯会社の社員であった。フォードが発明したばかりのガソリン自動車の説明をすると、エジソンはテーブルを拳で叩いて喜び、フォードを励ました