サンフランシスコ平和条約の締結。
この条約締結は吉田の政治生命をかけたものであった。
この条約により、日本と連合国の間にあった戦争状態を終結させ、日本はGHQの占領から独立する。
演説の最後は
「われわは国際社会における新時代を待望し、国際連合憲章の前文にうたつてあるような平和と協調の時代を待望するものであります。われわれは平和、正義、進歩、自由に挺身する国々の間に伍して、これらの目的のために全力をささげることを誓うものであります。われわれは今後日本のみならず、全人類が協調と進歩の恵沢を享受せんことを祈るものであります。」
という内容で締めくくる。演説内容の全文はコチラ
またサンフランシスコ講和会議には白洲次郎が全権団顧問として随行。吉田首相の受諾演説の原稿が、GHQに対する美辞麗句を並べ、かつ英語で書かれていたことに激怒、「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、受諾演説原稿は急遽日本語に変更された。
また、アメリカとは日米安保条約(旧安保)を結び、日本国内に米軍の駐留を認めた。