1953年(昭和28年) 四三の弟子である山田敬蔵がアメリカの権威あるボストン・マラソン第53回大会で優勝(2時間18分51秒=当時の世界記録)
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35歳の田中角栄
母校の中央工学校の校長に就任
25歳の手塚治虫
大阪大学医学部附属病院で1年間インターンを務め、1953年7月に国家試験を受けて医師免許を取得。
同年に数多くの漫画家を輩出したトキワ荘に入居。
関西の長者番付の画家の部でトップとなっている。
8歳のタモリ
下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。小学生の頃、祖母に「今の内から男も料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことをタモリは「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。