関東大震災が発生。
ロンドンにいた五十六は「日本人は偉大な民族であり、前より立派に復興する」と言い残している。
関東大震災が発生。
ロンドンにいた五十六は「日本人は偉大な民族であり、前より立派に復興する」と言い残している。
第2次山本権兵衛内閣が発足。
犬飼毅は文部大臣と逓信大臣(逓信省は現在の総務省・日本郵便・NTTの前身)を務めるが、12月に虎ノ門事件(皇太子で後の昭和天皇である裕仁親王が狙撃される)が起こると、山本権兵衛は責任を取り総辞職。
1923年(大正12年)3月、日露協会学校特修科修了。
特にロシア語は非常に堪能で、生徒から教員として教える方に転じる
不時着事故で頭蓋骨骨折。除隊。
婚約者ルイーズ・ド・ヴィルモランとその家族の反対で操縦士になることを断念。タイル製造会社に業務検査員として入社も婚約解消。
電池式自転車ランプを考案発売
東京帝国大学経済学部に入学
法科を志望したものの不合格となって、経済の商科へ横すべりでどうにか合格したという。
1923年8月7日、大阪府大阪市浪速区西神田町(現・塩草)に、薬局を経営する父・福田是定(薬剤師)、母・直枝の次男として生まれた。
兄がいたが2歳で早世し、姉、妹が一人ずついる。乳児脚気のために3歳まで奈良県北葛城郡當麻町(現・葛城市)の母の実家に里子に出されていた。
ムッソリーニのローマ進軍に触発されてミュンヘン一揆を起こすが失敗。警察に逮捕される。
1923年(大正12年)6月の日本共産党に対する大規模な一斉取締り(第1次)や、特別高等警察などにも関わり、同年9月に発生した関東大震災の際、社会主義者の扇動による暴動に備えるための警戒・取締りを指揮した。
大震災善後会創立・副会長。