17歳の孫正義(1974年)

高校入学後、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読。渡米を決意。1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、渡米。米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校 (ESL) に入学。

米国サンフランシスコセラモンテ高等学校の2年生に編入。

入学後すぐに教科書の内容は全て解ると校長に掛け合い、カリフォルニア州の大学試験検定を受けることに。
しかし試験は英語で出題される。そこで孫正義は「日本語ならばこの問題は解ける」と、辞書の貸し出しと時間の延長を申し出、州知事にまで電話で抗議。そして辞書の持ち込みと時間延長という特例をのませ見事合格したという。
翌1975年に米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学

19歳のスティーブ・ジョブズ

インドまで旅をしたいと考えたジョブズは、旅費を捻出するため働くことを決める。1974年2月にジョブズは実家に戻り、その日のうちにビデオゲーム会社のアタリを訪問、「雇ってくれるまで帰らない」と宣言してアタリのトップに交渉し、40人目の社員として採用され、時給5ドルのテクニシャン(下級エンジニア)として働くこととなった。

上司に頼み援助を得て、インドに渡ったが、すぐに赤痢にかかって苦しむことになった上、放浪の末に想像とあまりにもかけ離れたインドの実態に失望した。

66歳のオスカー・シンドラー

1974年、ドイツのヒルデスハイムで亡くなる。彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。

時とともにシンドラーの事績はドイツやポーランドでも次第に忘れ去られていった。彼の名が一般にも広く知られるようになったのは、1982年にオーストラリアの作家トーマス・キニーリーが著したノンフィクション小説『シンドラーの箱船』がベストセラーになり、これをスティーヴン・スピルバーグ監督が映画化した1993年のユニバーサル映画『シンドラーのリスト』が世界的な興行成功を収めたことによる。

39歳の赤塚不二夫

税務署の調査で税金の支払いが長期に渡り滞納していることが発覚。延滞金だけで6000万円ともされた。

原因はフシオプロの経理担当者の横領によるもので被害額は二億円とも言われ、実印まで預け信頼していた人物による裏切りであった。失踪したこの人物は後日逮捕されるが、赤塚はこの人物の将来を考え告訴することはなかった。。

しかし横領された二億円の中には古谷三敏や芳谷圭児といったフジオプロ所属の漫画家らのプール金もあり、このトラブルにより古谷、芳谷はフジオプロを退社。それぞれのスタッフを引き連れ、自身らの制作プロダクション・ファミリー企画を設立した。(その後、赤塚は古谷、芳谷らの被害額を返済している)