JOCの委員長に就任する。
この年には中国のIOC(国際オリンピック)復帰に貢献した。
JOCの委員長に就任する。
この年には中国のIOC(国際オリンピック)復帰に貢献した。
12月に内閣総理大臣に就任する。
1月から4月の間にロンドン海軍軍縮会議が開催される。
当時の浜口雄幸内閣は、この会議で話し合われていた補助艦保有数を巡って海軍の艦隊派と対立していた。
さらに、犬養毅は鳩山一郎とともに軍縮問題を内閣が決めるのは「統帥権の干犯」と言い反対した。
※統帥権とは軍を指揮する最高指揮権のこと
また、9月には満州事変が起こり第2次若槻内閣が総辞職すると、犬養毅は中華民国との話し合いで解決しようとする。
そして、12月に総理大臣になる。
国際交易モスクワ支店代表を退職して日本に帰国
第40回総選挙。眞紀子が自らの選挙区だった新潟3区から無所属で出馬し、初当選。田中自らも病をおして新潟入りし、眞紀子の応援をする。後に自民党へ入党。選挙で過半数を下回った自民党は下野し、元田中派所属の細川護熙による非自民8党連立内閣が発足。
12月16日 – 慶應義塾大学病院にて75歳で死去
パナマ運河開通博覧会のため渡米。ウイルソン大統領と会見もしている。
哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名する。