29歳の金栗四三(1920年)

1920年(大正9年)2月14日 第1回の『東京箱根間往復大学駅伝競走』を企画実行した。
現在の『箱根駅伝』であるが、最優秀選手に贈られる「金栗四三杯」にその名を残している。
同年 第7回オリンピック(アントワープ)に、日本代表選手として参加。マラソン競技に出場し16位で完走。

58歳の新渡戸稲造(1920年)

国際連盟の事務次長に選ばれる。
※教育者で『武士道』の著者として国際的に有名であったため

事務次長としては人種的差別撤廃提案の主張やバルト海オーランド諸島帰属問題(1912)の解決に力を注いだ。

稲造は事務次長を1926までの7年間務めて退任した。

17歳の知里幸恵

女子職業学校を卒業。気管支カタルを病む。
金田一は病気の幸恵にノートを送りユーカラなどのローマ字筆記をすすめる。
9月、豊栄尋常小学校開校10周年記念式典で祝辞を読む。
独自の表記法でカムイユカラなどの筆記を始める。
年末、初めて書いた神謡稿を金田一に送る。

31歳のアドルフ・ヒトラー

潜入調査をするるもヒトラーはドイツ労働者党で党首アントン・ドレクスラーの反ユダヤ主義、反資本主義の演説に感銘を受けて逆に取り込まれてしまう。
、軍を除隊。党は国家社会主義ドイツ労働者党に改名される。
1921年党内抗争で初代党首アントン・ドレクスラーを失脚させ、第一議長に就任