1878年、留学から日本に帰国する。
タグ: 1878年あの人は何をしていたか
37歳の田中正造(1878年)
栃木県の区会議員となる。
2度の投獄に耐えた正造は、地元・栃木県第4大区3小区の区会議員に選ばれる。
正造は自由民権運動の第一歩として地元の自治問題を改革しようとした。
幼少期の吉田茂
9月22日に東京神田駿河台(現在の東京都千代田区)に竹内綱の5男として生まれる。
父は自由民権運動の主導者・板垣退助の腹心であったが、茂が生まれる前に反政府陰謀の罪で逮捕される。
母は茂が生まれる前に東京にいた吉田健三(竹内綱の親友)もとに身を寄せて茂を生んだ。
※3年後に吉田健三の養子となる
少年期は義母に厳しく育てられた。
48歳の大久保利通(1878年)
馬車で皇居へ向かう途中に紀尾井坂で暗殺される。
暗殺された際に、西郷隆盛の手紙が2通あったといわれている。
45歳のアルフレッド・ノーベル
兄と共に現在のアゼルバイジャンでノーベル兄弟石油会社を設立
38歳の渋沢栄一
東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。
37歳の伊藤博文
1877年に木戸が死去、同年に西南戦争で西郷隆盛が敗死、1878年に大久保も暗殺された後は内務卿を継承し、維新の三傑なき後の明治政府指導者の1人として辣腕を振るう