71歳の新渡戸稲造(1933年)

出血性膵臓癌により死去。

カナダで開かれた太平洋問題調査会会議に日本代表団体団長として出席した。
しかし、会議終了後に倒れ、手術・入院するも亡くなった。

稲造が亡くなったこの年は、自身が事務次長を務めていた国際連盟から日本が脱退した年でもあった。

71歳の正力松太郎

前年の原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められたことをうけ、1956年原子力委員会の初代委員長に就任。1月4日、日本に原子力発電所を5年後に建設する構想を発表。
これに対して、原子力委員の湯川秀樹は、「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」と強く訴え、抗議のために辞任した。
初代科学技術庁長官に就任。

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