71歳の新渡戸稲造(1933年)

出血性膵臓癌により死去。

カナダで開かれた太平洋問題調査会会議に日本代表団体団長として出席した。
しかし、会議終了後に倒れ、手術・入院するも亡くなった。

稲造が亡くなったこの年は、自身が事務次長を務めていた国際連盟から日本が脱退した年でもあった。