20歳の大久保利通(1850年)

20歳の時に薩摩藩でお家騒動が起こる(お由羅騒動)。
※薩摩藩主を巡って島津斉彬と島津久光の両方の家臣が対立

このお家騒動に父とともに巻き込まれ謹慎処分に処される。

謹慎中の生活は苦しく借金しながら生活をした。
この時の借金依頼の書類が現在も残っている。

西郷隆盛が支援したとも言われている。

41歳のエイブラハム・リンカーン(1850年)

1850年2月1日 次男エデイが3歳で死去、

このころ「巡回裁判」のため、イリノイ州中を出張。スプリングフィールドに居たのはわずか100日という。

この時期のリンカーンの人生の主要な特徴は「政治家と弁護士の二足の草鞋で重労働をこなした」ことだとされる。

22歳の西郷隆盛

お家騒動、赤山の御用人をしていた父から切腹の様子を聞き、血衣を見せられた。これ以後、世子・島津斉彬の襲封を願うようになった。
伊藤茂右衛門に陽明学、無参和尚に禅を学ぶ
「近思録」を輪読する会を大久保利通らと結成