第二次長州征伐が起きた際には、西郷隆盛とともに薩摩藩の出兵を拒否する。
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38歳の西郷隆盛
坂本龍馬らの仲介で、薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結部
27歳の高杉晋作
3月、グラバーの蒸気船に便乗、薩英会盟に加わるため長崎へ。
グラバーの説得で上海外遊(更にイギリス密航)を断念。
5月、伊藤俊輔と共に薩摩行きを命じられ、その途次長崎で蒸気船「丙寅丸」(オテントサマ丸)を独断で購入。
第二次長州征伐では海軍総督として「丙寅丸」に乗船し戦闘指揮を執った。周防大島沖で幕府艦隊を夜襲してこれを退け、周防大島を奪還している。小倉方面では艦砲射撃の援護のもと奇兵隊・報国隊を門司・田ノ浦に上陸させて幕府軍を敗走させている。その後小倉城近くまで進撃したものの肥後藩細川家の軍勢に撃退され戦況は停滞した。
しかし7月20日将軍徳川家茂が死去すると7月30日には各藩が撤兵幕府軍の敗北が決定的となった。幕府の権威は大きく失墜し翌年11月の大政奉還へとつながることとなった。
33歳のアルフレッド・ノーベル
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26歳の渋沢栄一
徳川慶喜、征夷大将軍となり、 栄一は幕臣となる。
44歳の勝海舟
1866年
軍艦奉行に復帰し、徳川慶喜に第二次長州征伐の停戦交渉を任される。海舟は単身宮島大願寺での談判に臨み長州の説得に成功したが、慶喜は停戦の勅命引き出しに成功した。憤慨した海舟は御役御免を願い出て江戸に帰ってしまう。
32歳の坂本龍馬
1866年
龍馬の斡旋により、京都で桂と西郷、小松らが会談し、薩長同盟(薩長盟約)が結ばれる。
伏見寺田屋で幕吏に襲撃され負傷。(寺田屋遭難)
桂に求められて盟約書の裏書を行う。
負傷治療のために妻お龍と共に鹿児島を旅行する。
第二次長州征伐で亀山社中の船ユニオン号で長州藩を支援。
将軍・家茂が死去し、慶喜が将軍になる。