1940年の東京オリンピック開催が正式決定。しかし同年嘉納治五郎が死去。日中戦争の激化に伴い、1938年に開催を辞退。
タグ: 45歳あの人は何をしていたか
45歳の東郷平八郎(1893年)
ハワイ王国でクーデターが起こる。
ハワイ王国のリリウオカラニ女王がアメリカとの不平等条約を撤廃する動きを見せると、アメリカ人がクーデターを起こす。
日本はハワイにいた在留日本人保護のために海軍を送る。
この時、東郷が海軍を指揮しクーデター勢力を威嚇砲撃した。
ハワイは1898年にアメリカにより併合された
45歳の小村寿太郎(1900年)
清国で起こった義和団事件の際には、講和会議全権として事後処理にあたる。
※義和団事件(庚子事変)とは日清戦争後に生活に苦しんでいた農民らが排外主義を掲げ、外国人や教会を襲った事件。北京の列国大公使館を包囲した。
45歳のナポレオン(1814年)
エルバ島への追放。
ロシア遠征の失敗後、ナポレオンは立て直しを図りドレステンの戦い(1813年8月)でオーストリア・ロシア連合軍に勝利したが、ライプツィヒの戦い(1813年10月)で対仏同盟軍に大敗し、ナポレオンはフランスへ逃げ帰った。
1814年に入るとフランスと国境にはオーストリア・プロイセン・スウェーデン・イギリスなどの連合軍が包囲し、3月にはパリが陥落する。
ナポレオンは外交で自信の退位ならびに終戦を図ったが、部下の裏切りによって無条件で退位させられた。
この後、ナポレオンはエルバ島(イタリア半島とコルシカ島の間にある島)に追放された。
45歳のエイブラハム・リンカーン(1854年)
1854年1月23日、後にリンカーンの好敵手となるダグラス上院議員が、「カンザス・ネブラスカ準州法案」を連邦議会に提出。
5月30日、大差で同法が成立(北緯36度30分以北の準州に奴隷制を住民主権に委ねる法律が施行されることになった)
7月6日、奴隷制への対処を念頭に「共和党」がミシガン州ジャクソンで結成される。
10月16日、「ペオリアの演説」で、奴隷制の拡大に反対する演説を行う。
45歳の山本五十六(1929年)
ロンドン海軍軍縮会議が開催。
五十六は前首相の若槻禮次郎らと参加し、補助艦の保有を対米7割を主張する。
この会議の際、大蔵省から派遣された賀屋興宣が財政面の問題で反対すると、五十六は「賀屋黙れ、なお言うと鉄拳が飛ぶぞ!」と怒鳴りつける。
また、海軍内で艦隊派(軍令部、軍縮条約に反対)と条約派(海軍省、軍縮条約に賛成)に分かれていたが、艦隊派の支持を受けて出世のきっかけになった。
※結果は対米6割となる
※ちなみに山本五十六は、戦後は三国同盟反対や対米避戦などから条約派といわれている。
45歳の源頼朝(1192年)
鎌倉幕府の開始。
3月に後白河法皇が崩御すると、7月に即位した後鳥羽天皇によって「征夷大将軍」に任ぜられる。
45歳の伊達政宗(1613年)
家臣の支倉常長らをメキシコ・スペイン・ローマへ派遣する(慶長遣欧使節)。
45歳の西郷隆盛
征韓論を唱えるが、日本へ帰国した岩倉使節団の大久保利通らに意見を退けられたため、明治政府を辞職、故郷の鹿児島へ帰る。
同調した政治家・軍人・官僚600名余りが大量辞任(明治六年の政変)。
45歳のスティーブ・ジョブズ
それまで拒否していたCEO就任を、正式に受諾
45歳の織田信長
徳川家康の正室築山御前と嫡男松平信康に対し、武田に内通した嫌疑により処刑を命ずる。
45歳の杉原千畝
ブカレスト郊外のゲンチャ捕虜収容所に連行される。
45歳のアルフレッド・ノーベル
兄と共に現在のアゼルバイジャンでノーベル兄弟石油会社を設立
45歳の三浦知良
2012 FIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出。
10月27日にフットサルウクライナ代表戦に出場、前半14分にフットサル選手として初ゴールを挙げた。
45歳のアドルフ・ヒトラー
突撃隊幹部を粛清して独裁体制を強化(長いナイフの夜)。ヒンデンブルク病没。大統領の職能を継承し、国家元首となる(総統)。
ラインハルト計画により、1933年には600万人を数えていた失業者も1934年には300万人に減少している。
一方で新聞の統制化も行い、1934年には三百紙の新聞が廃刊となった。営業不振となった新聞社・雑誌社はナチ党の出版社フランツ・エーア出版社に買収され、情報の一元化が進んでいった。
翌年、公務員・一般労働者が右手を挙げて「ハイル・ヒトラー」と挨拶することや、公文書・私文書の末尾に「ハイル・ヒトラー」と記載することが義務付けられている。
45歳の手塚治虫
1973年に自らが経営者となっていた虫プロ商事、それに続いて虫プロダクション(すでに1971年には経営者を退いていた)が倒産し、手塚も個人的に1億5000万円と推定される巨額の借金を背負う。
作家としての窮地に立たされていた1968年から1973年を、手塚は自ら「冬の時代」であったと回想している
『週刊少年チャンピオン』で連載開始された『ブラック・ジャック』も、少年誌・幼年誌で人気が低迷していた手塚の最期を看取ってやろうという、壁村耐三編集長の厚意で始まったものであった。
しかし、連綿と続く戦いで読み手を惹き付けようとするような作品ばかりであった当時の少年漫画誌にあって、『ブラック・ジャック』の毎回読み切り形式での連載は逆に新鮮であり、後期の手塚を代表するヒット作へと成長していくことになった。
45歳のタモリ
1990年代以降は、趣味や知識(タモリ本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すように。
『タモリのボキャブラ天国』『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系列)、『ブラタモリ』(NHK)など続々とレギュラーが増えた。
また、テレビドラマにも積極的に出演するようになり、俳優としてのタモリの活躍の場が増えていくことになる。
45歳の森鴎外
11月陸軍軍医総監・陸軍省医務局長となる
45歳の渋沢栄一
日本郵船会社創立(後に取締役)。東京養育院院長に、身寄りのない子ども、老人、路上生活者や障害のある人などを救済する日本で最初の公立救貧施設でした。。
45歳の伊藤博文
官僚育成のため帝国大学(現在の東京大学)を創設
当時あまり顧みられていなかった、女子教育の必要性を痛感した伊藤は、自らが創立委員長となり「女子教育奨励会創立委員会」を創設した(翌年には「女子教育奨励会」となる)。委員には、伊藤の他に実業家の渋沢栄一、岩崎弥之助や、東京帝国大学教授のジェムス・ディクソンらが加わり、東京女学館を創設するなど女子教育の普及に積極的に取り組んだ。
45歳の福澤諭吉
「慶應義塾維持法案」を作成し、自らは経営から手を引き、渡部久馬八・門野幾之進・浜野定四郎の3人に経営を任せることにした。この頃から平民の学生が増えた事により、運営が徐々に黒字化するようになった。
交詢社を結成、専修学校(現専修大学)の創設に協力