エルバ島への追放。
ロシア遠征の失敗後、ナポレオンは立て直しを図りドレステンの戦い(1813年8月)でオーストリア・ロシア連合軍に勝利したが、ライプツィヒの戦い(1813年10月)で対仏同盟軍に大敗し、ナポレオンはフランスへ逃げ帰った。
1814年に入るとフランスと国境にはオーストリア・プロイセン・スウェーデン・イギリスなどの連合軍が包囲し、3月にはパリが陥落する。
ナポレオンは外交で自信の退位ならびに終戦を図ったが、部下の裏切りによって無条件で退位させられた。
この後、ナポレオンはエルバ島(イタリア半島とコルシカ島の間にある島)に追放された。