46歳のナポレオン(1815年)

再び即位する。

ナポレオンの失脚後、欧州ではウィーン会議が開かれたが各国の思惑が入り乱れてうまく進まなかった。

そんな中、2月にナポレオンはエルバ島を脱出してパリに戻り再び帝位についた。
この時、ナポレオンは武力ではなく話し合いで解決しようと考え、連合国側に講和を提案した。
しかし、連合国側はこの講和を拒否し戦争が起こる。

フランス軍は序盤は優勢であったものの、6月のイギリス・プロイセン連合国との戦い(ワーテルローの戦い)で大敗し降伏する。

ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ島へ流され幽閉される。