68歳の犬養毅(1924年)

1月に第2次護憲運動が起こる。

第2次山本内閣が総辞職すると、貴族院議員の清浦奎吾が総理大臣となる。
清浦内閣の支持基盤は研究会(貴族院の会派)であったため、内閣は貴族院に大きく偏った。

この清浦内閣に対して、革新倶楽部(立憲国民党の後身)を率いていた犬養毅は、立憲政友会(衆議院の第1党)の高橋是清や憲政会の加藤高明らと協力して護憲運動を始める。
※革新倶楽部・立憲政友会・憲政会の3党を「護憲三派」という。

6月には加藤高明内閣が発足。

犬養毅は逓信大臣を務めた。
※加藤内閣下では普通選挙法・治安維持法など成立。外交では日ソ基本条約が締結。

一旦、政界を引退する。

68歳の杉原千畝

カウナスの「杉原ビザ」受給者の一人で、新生イスラエルの参事官となっていたニシュリ氏と東京のイスラエル大使館で28年振りに再会。

カウナス駅頭で「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」と叫んだかつての青年は、杉原夫人の「手をとり固く握って涙を流して喜んだ」といわれている。