ユニバーシアード東京大会や札幌オリンピック冬季大会の組織委員会の顧問になり、4年ぶりにオリンピック運営の最前線に復帰する。
タグ: 68歳あの人は何をしていたか
68歳の吉田茂(1946年)
内閣総理大臣(第1次吉田内閣)に就任。
首相となった吉田茂は戦争からの復興に尽力する。
68歳の伊達政宗(1636年)
がん性腹膜炎または食道癌のため死去。
68歳の犬養毅(1924年)
1月に第2次護憲運動が起こる。
第2次山本内閣が総辞職すると、貴族院議員の清浦奎吾が総理大臣となる。
清浦内閣の支持基盤は研究会(貴族院の会派)であったため、内閣は貴族院に大きく偏った。
この清浦内閣に対して、革新倶楽部(立憲国民党の後身)を率いていた犬養毅は、立憲政友会(衆議院の第1党)の高橋是清や憲政会の加藤高明らと協力して護憲運動を始める。
※革新倶楽部・立憲政友会・憲政会の3党を「護憲三派」という。
6月には加藤高明内閣が発足。
犬養毅は逓信大臣を務めた。
※加藤内閣下では普通選挙法・治安維持法など成立。外交では日ソ基本条約が締結。
一旦、政界を引退する。
68歳の杉原千畝
カウナスの「杉原ビザ」受給者の一人で、新生イスラエルの参事官となっていたニシュリ氏と東京のイスラエル大使館で28年振りに再会。
カウナス駅頭で「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」と叫んだかつての青年は、杉原夫人の「手をとり固く握って涙を流して喜んだ」といわれている。
68歳の松下幸之助
『タイム』誌のカバーをかざる(当時日本人で2人目)
68歳の田中角栄
トップ当選。田中は選挙運動が全く行えず、越山会などの支持者のみが活動。自民党は圧勝。4年近くの任期中、田中は一度も登院できなかった。
68歳の伊藤博文
しかし,朝鮮内で独立運動である義兵闘争が盛んになるにつれ考え方を変えて「韓国併合」を唱えるようになる。統監として日本の政策への韓国国民の恨みを買うことになり、朝鮮人・安重根による暗殺に繋がった。