神戸海軍操練所に入る。
※勝海舟がリーダーを務める海軍士官養成機関
坂本龍馬とともに入り、海外情勢についても学ぶ。
神戸海軍操練所に入る。
※勝海舟がリーダーを務める海軍士官養成機関
坂本龍馬とともに入り、海外情勢についても学ぶ。
薩英戦争の勃発。
大久保は薩英戦争の作戦指揮にあたっていた。
1863年1月1日、奴隷解放宣言を発布。
7月1日、ゲティスバーグの戦い始まる(7月4日に南軍リー将軍が退却、北軍の勝利となった) ※南北戦争最大の激戦で、両軍の戦死傷者は5万人以上に上った
11月19日、ゲティスバーグに国立墓地を作る式典において、戦没将兵にささげる演説を行い、アメリカの新しい自由の誕生と民主政治の根本を簡潔に格調高く表現した不朽の名演説として語り継がれている
12月8日、南部反乱州に対する「大赦と再建の宣言」を布告
「ゲティスバーグの演説」
It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us – that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion – that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain – that this nation, under God, shall have a new birth of freedom – and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
「ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。(米国大使館訳)」
長州藩が下関戦争で敗退すると、晋作は下関の防衛を任せられ、6月には廻船問屋の白石正一郎邸において身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成した。
しかし9月には教法寺事件の責任を問われ総監を罷免された。
高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。
天竜川において甲斐の黒駒勝蔵と対陣する。
仲間とともに、将軍・徳川家茂警護の為の浪士組に応募し、京都へ赴く。
八月十八日の政変後、壬生浪士組の活躍が認められ新選組が発足。
その後、新見錦が切腹、芹沢鴨などを自らの手で暗殺。権力を握った近藤が局長となった。歳三は副長の地位に就き、近藤の右腕として京都の治安維持にあたった。新選組は副長助勤、監察など職務ごとに系統的な組織作りがなされ、頂点は局長であるが、実際の指揮命令は副長の歳三から発したとされる。
井上馨の薦めで海外渡航を決意、井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・野村弥吉(後の井上勝)らと共に長州五傑の1人としてイギリスに渡航。途中に寄港した清の上海で別の船に乗せられた際、水兵同然の粗末な扱いをされ苦難の海上生活を強いられた。
ロンドンでは英語を学ぶと共に博物館・美術館に通い、海軍施設、工場などを見学して見聞を広めた。留学中にイギリスと日本との、あまりにも圧倒的な国力の差を目の当たりにして開国論に転じる。
帰国後、「西洋事情」などの著書を通じて啓蒙活動を開始。「理化学・器械学」が特に強調されており、病院・銀行・郵便・徴兵の制度や設備についても言及してある。
薩英戦争が起こったことにより幕府の仕事が忙しくなり、外国奉行・松平康英の屋敷に赴き、外交文書を徹夜で翻訳に当たった。その後、翻訳活動を進めていき、「蒸気船」→「汽船」のように三文字の単語を二文字で翻訳し始めたり、「コピーライト」→「版権」、「ポスト・オフィス」→「飛脚場」、「ブック・キーピング」→「帳合」、「インシュアランス」→「請合」などを考案していった