29歳の土方歳三

八月十八日の政変後、壬生浪士組の活躍が認められ新選組が発足。
その後、新見錦が切腹、芹沢鴨などを自らの手で暗殺。権力を握った近藤が局長となった。歳三は副長の地位に就き、近藤の右腕として京都の治安維持にあたった。新選組は副長助勤、監察など職務ごとに系統的な組織作りがなされ、頂点は局長であるが、実際の指揮命令は副長の歳三から発したとされる。