19歳の桜井和寿

1989年1月1日から「Mr.Children」に改名
当時4人は「チルドレン」という言葉の響きを気に入っていて、イギリスのバンド「THE MISSION」が1988年に発売したアルバム『CHILDREN』や、バンド「The Railway Children」、世界中の飢えや貧困に苦しむ子供を写したロバート・キャパの写真集『戦争・平和・子どもたち』など、好きなものに「チルドレン」含む名称が多かった。ただ、大人になった後も「Children」のままでは如何なものかと思い、正反対の「Mr.」を付けて年が明けた1989年1月1日から使用した。

60歳の手塚治虫

1988年3月に胃を壊し、一度目の手術を受ける。
1989年1月21日に手塚プロ社長の松谷孝征がお見舞いに来た時には、「僕の病状は何なんだ、君聞いてきてくれ」と頼んでいたという。胃癌ということは伏せたうえで聞いた事を話すと「そうか…」と一言言ったという。
100歳まで描き続けたいと言っていた手塚は病院のベッドでも医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていた。

同年1月25日以降、昏睡状態に陥るが意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言っていたという。息子である手塚眞は昏睡が覚めると鉛筆を握らせるが意識がなくなりの繰り返しだったと語る。死に際の状態でも「頼むから仕事をさせてくれ」と起き上がろうとし、妻は「もういいんです」と寝かせようとするなど最後まで仕事への執着心を無くさなかった。
手塚の死に立ち会った松谷孝征によるとこの「頼むから仕事をさせてくれ」が手塚の最後の言葉であったという。

周りの人間は誰も手塚に胃癌であることを伝えず、手塚自身は生き続けるということに何も疑問は持たなかったとされる。
しかし手塚が病院で描いていた遺作の一つ「ネオ・ファウスト」では主要な人物が胃癌にかかり、医者や周りは気遣って胃癌であることを伝えないが本人は胃癌であることを知っていて死亡するという内容が描かれている。

手塚治虫に関する映像