56歳のパブロ・ピカソ

1937年、ナチス・ドイツは、スペインの小都市ゲルニカを無差別爆撃して数千人の市民を殺害。
ピカソは、以前からパリ万国博のスペイン館の壁画制作を依頼されていましたが、急遽、悲しみや怒り、抗議を込めて一カ月程で「ゲルニカ」を描いた。

《泣く女》

愛人のドラ・マールがよく泣く女性であったこともあり、ピカソは「ゲルニカ」の作品の中から泣く女を独立させ、彼女をモデルとして「泣く女」をシリーズ化していった。

37歳のサン=テグジュペリ

2月、カサブランカ-トンブツク-バマコ-ダカールのサハラ砂漠を経由する路線を調査。4月、「パリ=ソワール」誌の特派記者として再びスペイン内乱を取材。8月、ナチズムの行為を見るためにドイツに飛ぶが、警戒が厳しくほとんど目的を果たさずに帰る。

38歳の高柳健次郎

1937年、NHKに出向し東京オリンピックのテレビ放送を目指してテレビ受像機の研究を本格的に開始。しかし1938年に日中戦争が激化するなどで東京オリンピックは中止、テレビの研究も中断させられレーダーなどの研究をすることになる。