39歳の杉原千畝

リトアニアの在カウナス領事館・領事代理に任命される。
カウナスは、ソ連邦に併合される以前のリトアニア共和国における臨時の首都で、そこに最初の日本領事館を開設した。
日独伊三国同盟後もヒトラーの言明に全幅の信頼を寄せることが出来なかった日本は、ドイツ軍が本当にソ連を攻撃するつもりかどうかの確証をつかみたいと思い、日本人が誰もいないカウナスに日本領事として赴任し、リトアニアとドイツとの国境地帯から入ってくるドイツ軍による対ソ攻撃の準備と部隊の集結などに関するあらゆる情報を、外務省ではなく参謀本部に報告することがその役割であった。

39歳のサン=テグジュペリ

3月、自動車でドイツを旅行。7月、「人間の土地」出版でアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞。7月、友人ギヨメの飛行艇での大西洋横断飛行に同行。8月、「人間の土地」英語版宣伝のため、アメリカ訪問。ニューヨークでリンドバーグ夫妻に会う。戦争の危機を感じて、急遽帰国。9月対ドイツ開戦。召集され予備大尉となる。11月、偵察飛行大隊に配属される。

27歳のアラン・チューリング

ドイツの暗号を解読するいくつかの手法を考案し、英国の海上補給線を脅かすドイツ海軍のUボートの暗号通信を解読する部門 (Hut 8) の責任者となった。ドイツが使用していた、エニグマ暗号機を利用した通信の暗文を解読する(その通信における暗号機の設定を見つける)ための機械 bombe の開発に着手。

21歳の田中角栄

1939年に陸軍騎に入営し、4月より満州国富錦で兵役に就く。
内務班での私的制裁を古兵から受けたが、夏に勃発したノモンハン事件に古兵が動員されたことに加え、部隊内の事務や能筆といった技能により、上官に一目置かれるように。

31歳のオスカー・シンドラー

没収前ユダヤ人の所有になっていた、落ちぶれた琺瑯(ホーロー)容器工場を買い取る。彼は、ユダヤ系ポーランド人会計士イツァーク・シュテルンの助言を受けながら、闇商売で資産を拡大していく。
クラクフ近くにあるザプロヴィツの小さな工場は、ドイツ軍の厨房用品を製造して急激な成長を遂げた。
工場はわずか3カ月で250人のポーランド人労働者を使うようになり、その中には7人のユダヤ人労働者もいた。

シンドラーは、快楽主義者で遊び人で、金を湯水のように使い、プレイボーイだったという。

50歳のアドルフ・ヒトラー

チェコスロバキアへ武力恫喝、チェコを保護領に、スロバキアを保護国化(チェコスロバキア併合)。同年に独ソ不可侵協定を締結、ポーランド侵攻を開始、第二次世界大戦が勃発する。以降大半を各地の総統大本営で過ごす。

11歳の手塚治虫

小学5年生の頃には長編漫画「支那の夜」を完成。同作品は、仲間内のみならず学校の教師の間でも話題になるほどであり、以後教師からも漫画を描くことを黙認されるようになった。
この時期に、同級生の石原実(大阪淀屋橋石原時計店・現社長)と親しくなり、彼の影響を受けて昆虫や科学、天文学に興味を持つようになる。手塚家の広い庭は昆虫の宝庫であり、また周囲の田園地帯にも虫が豊富にいて、昆虫採集には最適の環境だったことから、趣味に対し深みを持たせた。友人から借りた平山修次郎『原色千種昆蟲図譜』を読み、甲虫のオサムシの存在を知り、それにちなみ、この時期からペンネームとして「手塚治虫」を使い始めた。1950年頃までは、「治虫」はそのまま「おさむし」と読ませていた