16歳の時に薩摩藩記録所の書役助(かきやくすけ)として働き、下級武士ながら藩内で頭角を現す。
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37歳のエイブラハム・リンカーン(1846年)
1846年、イリノイ州連邦下院議員選挙にホイッグ党から出馬して当選。連邦下院議員となる。
同時期、第二子エドワード・ベイカー誕生、愛称「エデイ」
52歳のペリー
米墨戦争が勃発すると、後年日本に来航するミシシッピ号の艦長兼本国艦隊副司令として参加、メキシコ湾のベラクルスへの上陸作戦を指揮、後には本国艦隊の司令官に昇進した。
蒸気船を主力とする海軍の強化策を進めると共に、士官教育にあたり、蒸気船海軍の父(Father of the Steam Navy)とたたえられ、海軍教育の先駆者とされている。
24歳の勝海舟
蘭学修行中に辞書『ドゥーフ・ハルマ』を1年かけて2部筆写した有名な話がある。1部は自分のために、1部は売って金を作るためであった。この時代に蘭学者・佐久間象山の知遇を得た[注 7]。 象山の勧めもあり西洋兵学を修め、田町に私塾(蘭学と兵法学)を開いた[注 8]。