1902(明治35)1月荒木志げと再婚。3月第一師団軍医部長となり帰京。10月『万年艸(まんねんぐさ)』創刊
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61歳の伊藤博文
伊藤は対露宥和政策をとり、陸奥宗光・井上馨らと共に日露協商論・満韓交換論を唱え、ロシアとの不戦を主張した。
1904年から始まった日露戦争をめぐっては、金子堅太郎をアメリカに派遣し、大統領セオドア・ルーズベルトに講和の斡旋を依頼している。1905年のポーツマス条約に結びつく。講和後は、勝利を手にした日本と敗戦国ロシアとの間の戦後処理に奔走