イタリアの科学者が地熱、ドライスチームと呼ばれるエネルギーを発見。地熱発電所を1911年に初めて建設
一家4人(母、兄二人の妹)で父が働いている台湾に赴く
遺族年金を妹に譲るように一族から非難され、仕送りが止まる。水彩の絵葉書売りなどで生計を立てる。
このころヒトラーは食費を切り詰めてでも歌劇場に通うほどリヒャルト・ワーグナーに心酔していたとされる。また暇な時に図書館から多くの本を借りて、歴史・科学などに関して豊富な、しかし偏った知識を得ていった。
東京帝国大学卒業。内閣統計局に入る(同郷の南弘の推薦による)
1911(明治44)3月『妄想』発表(~4月)。9月『雁』発表(~1913年5月)
勲一等に叙し瑞宝章を授与される。
プラハ大学の教授となる。次男エドゥアルト誕生。1911年、ソルベー会議に招待された。同年プランクにより、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム物学研究所の所長に推薦された。