42歳の孫正義(1999年)

証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。翌2000年には大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン市場を開始。
(02年にはヘラクレスとして改組された。)

42歳のスティーブ・ジョブズ

経営の実権を奪取すべく、社内で隠密に行動を開始し、CEOのアメリオを追い出すための画策を講じる。
「業績を向上させられない」として、すべての役員を味方につけアメリオをCEOから引きずり下ろすことに成功。

ライバルとされていたマイクロソフトから資金提供と業務提携を発表。

いくつかの社内プロジェクトを中止、大規模なリストラを行った。
前後して、企業買収によりインターネット直売事業への参入 (Apple Online Store)を行い、Macintosh互換機メーカーへのMac OSライセンスを停止、利益率の高いPowerPC G3搭載機種を市場に独占投入。こうした矢継ぎ早の改革により、アップルの再建を軌道に乗せた。

1997年のCM

42歳のサン=テグジュペリ

「戦う操縦士」出版。英語版は「アラスへの飛行」で、ベストセラーとなる。フランスではドイツの検閲を受け、「この愚かな戦争を始めたヒトラー」という部分を削除して出版されるが、親独新聞から一斉に攻撃され、翌年には発売禁止になる。夏、「星の王子さま」に着手。挿し絵と平行して執筆が進められたため、書斎はアトリエに一変する。11月、フランス全土がドイツの支配下に入る。

42歳のアラン・チューリング

1954年6月8日、家政婦がチューリングが自宅で死んでいるのを発見した。検死の結果、死亡したのは前日で、青酸中毒による死であることが判明。ベッドの脇には齧りかけのリンゴが落ちていた。リンゴに青酸化合物が塗ってあったかの分析はなされなかったが[78]、部屋には青酸の瓶が多数あった。

後年の評価

1966年からACMは、コンピュータ社会に技術的に貢献した人物にコンピューター界のノーベル賞ともいえるチューリング賞を授与している。

1986年、ヒュー・ホワイトモアの戯曲「ブレイキング・ザ・コード」でチューリングが描かれた。1986年11月からロンドンのウェストエンドで公開され、1987年11月15日から1988年4月10日までブロードウェイで興行。1996年にはBBCでテレビドラマ化されている。

1999年、タイム誌の「タイム100: 20世紀の最も影響力のある100人」で、コンピューター創造に果たした役割からチューリングを選んでいる。

2009年8月、イギリス政府に対して、アラン・チューリングを同性愛で告発したことへ謝罪するよう請願活動がをはじまり数千の署名が集まった。 イギリス首相のゴードン・ブラウンはこの請願を認め、2009年9月10日に政府として正式な謝罪を表明。

42歳の吉田秀雄

終戦の8月15日、本社二階の広間のラジオの前に集まって、玉音放送を数十名の社員で聞いてた際、「これからだ」 吉田は と大きな声で叫んだという。
鉄かぶと、防空頭巾などをかなぐり捨て、社員の先頭に起って、社内外の清掃をはじめたという。

電通などを中心に「民衆放送」(後の東京放送)開設を申請。
吉田がまとめ役となる

42歳の赤塚不二夫

タモリを中枢とする芸能関係者との交流を深める中、1977年を境に、ステージパフォーマンスに開眼。タモリらと面白グループを設立。
10月29日、渋谷公会堂で『輝け!第一回いたいけ祭り』というタモリや赤塚の“宴会芸”を見せるイベントを行うが赤字。
面白グループでの活動を筆頭に数多くのイベントを企画・出演するようになったが、その10年後には「漫画に費やしていたエネルギーをステージで発散してしまった」といった趣旨の発言があり、長いスランプに陥っている事を公言。