室町時代後期から戦国時代にかけての国人領主、戦国大名、毛利氏12代目当主
「一年の計画は春に立て、一ヶ月の計画はその月の一日に立て、一日の計画は朝に立てる」
「百万の心を一つにする」
「言葉は心の使いである、言葉によって、その人の善悪、才能、剛勇か臆病、利口か愚かか、正直かそうでないかがわかる」
「3人の力を一つにまとめよ」
室町時代後期から戦国時代にかけての国人領主、戦国大名、毛利氏12代目当主
「一年の計画は春に立て、一ヶ月の計画はその月の一日に立て、一日の計画は朝に立てる」
「百万の心を一つにする」
「言葉は心の使いである、言葉によって、その人の善悪、才能、剛勇か臆病、利口か愚かか、正直かそうでないかがわかる」
「3人の力を一つにまとめよ」
3月14日に安芸国の国人領主・毛利弘元の次男として生まれる。幼名は松寿丸。
父の弘元が隠居し、兄の興元が毛利氏の当主となる。
父とともに多治比猿掛城に移る。
父の弘元が死去。
多治比猿掛城に住むが、家臣の井上元盛が城を奪ったため追放される。
以後は養母の杉大方に育てられる。
兄・興元の許可で元服する。
名を多治比元就と改め、毛利氏の分家・多治比氏を立てる。
兄で当主の興元が急死する。
後を継いだのは興元の嫡男・幸松丸だったが、2歳であったため元就が20歳で後見となる。
佐東銀山城の武田元繁が吉川領へ侵攻してくると、元就は吉川氏救援のため出陣する。
初陣ではあったが、武田元繁の討ち死にもあって武田軍を撃退させる(有田中井手の戦い)。
この頃に、吉川国経の娘を妻に迎える。
当主の幸松丸が9歳で死去する。
元就は分家であったものの。家臣からの信頼があり毛利氏の当主となる。
この時、元就の家督継承に不満を持っていた相合元綱(元就の異母弟)と家臣を粛清する。
毛利氏の家督相続問題の結果、それまで主従関係にあった尼子氏と手を切る。
※相合元綱は尼子氏が推していた
尼子氏と敵対関係にあった大内氏の傘下に入る。
嫡男の隆元を大内氏のもとへ人質として送る。
尼子氏が居城の吉田郡山城に攻めてくるが撃退する(吉田郡山城の戦い)。
佐東銀山城の武田信実を攻撃し城を落とす。
主君の大内氏に従い、尼子氏の居城・月山富田城を攻める(第一次月山富田城の戦い)。
大内軍は大敗し、元就も負傷する。
3男の隆景を安芸国の国人・小早川氏に養子として送る。
※後に小早川氏を継ぎ、小早川隆景と名乗る
隠居し家督を嫡男の隆元に譲る。
次男の元春を安芸国の国人・吉川氏に養子として送る。
※後に吉川氏を継ぎ、吉川元春と名乗る。
大内氏を乗っ取った陶晴賢を厳島で破る(厳島の戦い)。
大内氏を滅ぼし長門国・周防国を手に入れる(防長経略)。
嫡男の隆元が急死。
尼子氏の居城・月山富田城を攻撃し城を落とす(第二次月山富田城の戦い)。
毛利氏は中国地方の覇者となる。
満73歳で死去。
※後継者は孫の輝元(隆元の子)。