45歳の山本五十六(1929年)

ロンドン海軍軍縮会議が開催。

五十六は前首相の若槻禮次郎らと参加し、補助艦の保有を対米7割を主張する。
この会議の際、大蔵省から派遣された賀屋興宣が財政面の問題で反対すると、五十六は「賀屋黙れ、なお言うと鉄拳が飛ぶぞ!」と怒鳴りつける。
また、海軍内で艦隊派(軍令部、軍縮条約に反対)と条約派(海軍省、軍縮条約に賛成)に分かれていたが、艦隊派の支持を受けて出世のきっかけになった。
※結果は対米6割となる
※ちなみに山本五十六は、戦後は三国同盟反対や対米避戦などから条約派といわれている。

73歳の犬養毅(1929年)

政界に復帰する。

犬養毅は政界を引退していたが、犬養を支持する支持者(とくに岡山県)が無理矢理に立候補させ衆議院選挙で当選させる。

犬養毅は当初は断っていたものの、結局は政界復帰を決断し、10月に立憲政友会の総裁となった。

48歳のパブロ・ピカソ

《赤い肘掛椅子の女》

妻オルガに対する愛情が次第に薄れつつあったピカソは、オルガを歯がむき出て鋭く尖がった頭部の不気味な物体に変えてしまった。しかし、ソファーの赤色の美しさが画面の不穏さを和らげている。

35歳の松下幸之助

松下電器製作所と改称綱領・信条を制定し、松下電器の基本方針を明示する

キーソケット、電気コタツ発売この年、世界的恐慌となったが、半日勤務、生産半減、給与全額支給とし、従業員を解雇することなく不況を乗り切る

50歳のアインシュタイン

ベルリン郊外、カプート(ドイツ語版)という町に別荘を建てる。1932年、アメリカへ3度目の訪問をすべくドイツを発つ。しかし、翌年にはドイツでヒトラー率いるナチスが政権を獲得。以後ユダヤ人への迫害が日増しに激しくなっていったため、アインシュタインがドイツに戻ることはなかった。