32歳の赤塚不二夫

『週刊少年マガジン』(講談社)にて「天才バカボン」、『週刊少年サンデー』にて「もーれつア太郎」を発表して天才ギャグ作家として時代の寵児となる。

テレビ番組『まんが海賊クイズ』で当時は漫画家としては異例のテレビの司会を、黒柳徹子と共に担当。

22歳のタモリ

中退後間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命で3年近く保険外交員として勤める。この時期に同僚の2歳年上の一般女性と結婚。その後、旅行会社に転職するが、系列のボウリング場(大分県)に転属。支配人となる。