高柳健次郎の名言・格言

高柳 健次郎
1899年1月20日 – 1990年7月23日
日本の工学者、日本ビクター元副社長・技術最高顧問。静岡大学名誉教授。日本のテレビの父と呼ばれる。

高柳 健次郎の名言・格言・語録

「こつこつ努力の大切さ」

「10年先、20年先を目指せ」

「幸運の女神には前髪があるが、後ろ髪がない」
幸運は後から追いかけて捕まえようとしても、決して捕まえられない。前から、待ちかまえていて前髪をつかめば、捕まえられる。

「人工天才」
1人の天才に対して、一つの目的に結集した多人数の知恵は天才的な力を発揮する。

「天分に生きる」
“人にはそれぞれ才能がある。それを生かして世の中のためになるような人間として生きること。”

22歳の高柳健次郎

静岡師範学校を経て1921年、東京高等工業学校(現・東京工業大学)附設工業教員養成所卒業。同年、神奈川県立工業学校(現・神奈川県立神奈川工業高等学校)教諭になる。テレビの研究をはっきりと志すのは、1923年、フランスの雑誌に見つけた未来のテレビを描いたポンチ絵(風刺画)を見た時らしい。

27歳の高柳健次郎

ブラウン管による電送・受像を世界で初めて成功した。送像側に機械式のニプコー円板と受像側に電子式のブラウン管を用いて、片仮名の「イ」の文字を送受像した。走査線の数は40本だった。「イ」の字はいろは順の最初の文字として選んだ。

38歳の高柳健次郎

1937年、NHKに出向し東京オリンピックのテレビ放送を目指してテレビ受像機の研究を本格的に開始。しかし1938年に日中戦争が激化するなどで東京オリンピックは中止、テレビの研究も中断させられレーダーなどの研究をすることになる。

47歳の高柳健次郎

日本ビクターに高柳の弟子と共に入社。自身が中心となりNHK、シャープ、東芝と共同でテレビ放送技術とテレビ受像機を完成させた。
産官学共同でテレビ技術の研究開発を行う団体として組織されたテレビジョン同好会の委員長に就任。