岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らが欧米に出発 (岩倉使節団)、太政大臣・三条実美、参議・西郷らに留守内閣が任される
タグ: 43歳あの人は何をしていたか
43歳のウォーレン・バフェット
1973年にワシントン・ポスト株を買い始める。ワシントン・ポストとその機関紙を支配しているキャサリン・グラハムと親友になり、バフェットはワシントンポストの社外取締役となる。
43歳のスティーブ・ジョブズ
iMacを市場に投入、大ヒットとなり、スケルトンのスタイリングは当時あらゆる分野に影響を及ぼした。このヒットはアップルの復活を人々に強く印象づけた。
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43歳の織田信長
羽柴(豊臣)秀吉を中国方面の総大将に任じる。
43歳の水木しげる
『別冊少年マガジン』でメジャー出版社デビュー。それまでの、大人向けの怪奇な画風から、子供向けの画風にするのに苦労したという。
43歳のサン=テグジュペリ
4月6日、「星の王子さま」出版。6月、カナダのモントリオールにて「ある人質への手紙」出版。北アフリカ行きの軍用船に乗船。星の王子さまの初刷りを持って、ニューヨークから北アフリカの連隊へと向かう船の中で、サン=テグジュペリはこう語っていたと船員が伝えている。「戦争が終わったら、ソレームの修道院に入りたいとよく言っていた。そして話の終わりはいつも賛美歌になっていた」 偵察飛行大隊に復帰、サルディニア島アルゲーロ基地に配属される。少佐に昇進。7月、フランス上空への偵察任務につく。8月、エンジン故障で引き返し、操作ミスによる着陸事故。このため予備役に回される。
43歳のアルフレッド・ノーベル
結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。
しかしベルタには既に婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。この2人の関係はノーベルの一方的なものに終わったが、キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞創設に関連していると考えられている。(彼女は1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞)
同じく1876年、当時20歳の花売りゾフィー・ヘスと出会い、交流が始まる。ゾフィーとの関係は18年間続き、218通の手紙を残した。しかし1891年に、ゾフィーが他の男(ハンガリー人の騎兵隊の将校)の子供を宿していることが分かり2人の関係は急速に冷えた。
43歳の司馬遼太郎
『竜馬がゆく』『国盗り物語』にて第14回菊池寛賞受賞。
その後も『国盗り物語』に続き、『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』の戦国四部作を上梓した。
43歳のアドルフ・ヒトラー
ドイツ国籍を取得。大統領選に出馬、決選投票でヒンデンブルクに敗北して落選。しかし国会選挙では第一党に躍進して更に影響力を高める。
43歳の渋沢栄一
伊藤かねと再婚。
43歳のペリー
アメリカ海軍2隻目の蒸気フリゲートフルトン号を建造し、同年海軍大佐に昇進した。
43歳の清水次郎長
天竜川において甲斐の黒駒勝蔵と対陣する。
43歳のアインシュタイン
ノーベル賞受賞
受賞理由は「光電効果の発見」によるものであった。当時、アインシュタインが構築した相対性理論について「人類に大きな利益をもたらす様な研究と言えるのかと言えば疑問」との声、更には「ユダヤ的」であるとするフィリップ・レーナルト或は、ヨハネス・シュタルクなどノーベル物理学賞受賞者らの批判があった。
この年には日本にもたちよっている。