43歳の大久保利通(1873年)

征韓論論争で西郷隆盛や板垣退助と対立したため、西郷ら征韓派を失脚させる(明治六年政変)。

「富国強兵」をスローガンとし殖産興業政策を推進。
内務省の設置(自ら初代内務卿となる)、学制・地租改正・徴兵制の実施、官営工場の開設(富岡製糸場など)、屯田兵の派遣など

38歳の岩崎弥太郎

九十九商会を改称した「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせ、広く知られる三菱のマーク「スリーダイヤ」を作った。
最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立されて紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知した弥太郎は、10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引であった。弥太郎は最初から政商として暗躍した。