45歳の西郷隆盛

征韓論を唱えるが、日本へ帰国した岩倉使節団の大久保利通らに意見を退けられたため、明治政府を辞職、故郷の鹿児島へ帰る。
同調した政治家・軍人・官僚600名余りが大量辞任(明治六年の政変)。