このころ、実兄の死去を契機に郷里熊本に帰り、地元の陸上競技振興に力を注ぐ。
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75歳の犬養毅(1931年)
12月に内閣総理大臣に就任する。
1月から4月の間にロンドン海軍軍縮会議が開催される。
当時の浜口雄幸内閣は、この会議で話し合われていた補助艦保有数を巡って海軍の艦隊派と対立していた。
さらに、犬養毅は鳩山一郎とともに軍縮問題を内閣が決めるのは「統帥権の干犯」と言い反対した。
※統帥権とは軍を指揮する最高指揮権のこと
また、9月には満州事変が起こり第2次若槻内閣が総辞職すると、犬養毅は中華民国との話し合いで解決しようとする。
そして、12月に総理大臣になる。
31歳のサン=テグジュペリ
親会社に内紛が起こり、アルゼンチンでの地位を失う。カサブンランカとポールテチェンヌ間等の郵便輸送に従事。「夜間飛行」がアンドレ・ジッドの序文を付けて出版され、フェミナ章を受賞。英訳され、映画化される。
19歳のアラン・チューリング
数学や科学ほど古典をまじめに学ばなかったことが原因で、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの奨学金を受けられなかったため、第二希望であったケンブリッジ大学キングス・カレッジへ進学した。1931年から1934年まで学生として学び、数学で優秀な成績を修めて卒業。
1931年から1934年まで学生として学び、数学で優秀な成績を修めて卒業。
18歳のロバート・キャパ
共産党活動容疑で逮捕される。釈放後はドイツのベルリンで写真通信社「デフォト」の暗室係となる。
23歳のオスカー・シンドラー
軍の勤務を終えた後、シンドラーはブリュンの電機会社に復職したが、この会社は1931年に倒産してしまった。シンドラーはこの後一年ほど失業者になった。シンドラーの父の農業機械工場も倒産していたため援助を受けられず、結局はエミーリエの父に援助してもらって生活を耐え凌いだ。シンドラーは養鶏場を買い、またプラハの銀行の代理人の仕事に就き、ブリュンの商人に国有財産を売却する仕事に携わる。
84歳のトーマス・エジソン
鉱山経営などにも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に篭り死者との交信の実験(霊界との通信機の研究)を続ける。1914年12月に研究所が火事で全焼し約200万ドルの損害を蒙ったが、臆せずその後も死者との交信についての研究を続けた。
10月18日、84歳でその生涯を終えた。
91歳の渋沢栄一
11月11日永眠。