3月、長州藩内の保守派を武力で排斥し、藩の実権を握る。
海外渡航を試みて長崎でイギリス商人グラバーと接触するが、グラバーに説得され洋行を断念。
下関開港を推し進めたことにより、攘夷・俗論両派に命を狙われたため、愛妾・おうのとともに四国へ逃れる。6月に桂小五郎の斡旋により帰郷。
10月坂本・桂らと回天の策を謀る。
3月、長州藩内の保守派を武力で排斥し、藩の実権を握る。
海外渡航を試みて長崎でイギリス商人グラバーと接触するが、グラバーに説得され洋行を断念。
下関開港を推し進めたことにより、攘夷・俗論両派に命を狙われたため、愛妾・おうのとともに四国へ逃れる。6月に桂小五郎の斡旋により帰郷。
10月坂本・桂らと回天の策を謀る。
一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡歴。
藩の実権を握った桂の要請で行った薩摩藩や外国商人との武器購入及び交渉が主な仕事で、第二次長州征伐にも戊辰戦争にも加勢できずに暇を持て余していた。
長州征伐が始まる。幕府の側に立って、その維持のためには外国軍隊に依拠することも辞さないという立場をとった。
1865年
薩摩藩の援助により、長崎で亀山社中、後の海援隊を結成。
中岡慎太郎、土方久元とともに長州の桂小五郎と薩摩の西郷隆盛との下関での会談を斡旋するが失敗する。
長崎のグラバー商会からの薩摩藩名義での銃器弾薬購入を長州藩に斡旋。
この年に同郷の武市半平太、切腹。