31歳のフローレンス・ナイチンゲール(1851年)

社会的地位の低かった看護師になりたいというナインチンゲールは家族の反対を押し切って、ドイツの病院付学園施設カイゼルスベルト学園に滞在し、3ヵ月間看護婦としての専門的訓練を積む。英国に戻った後も独学で病院管理や衛生学を学んだ。

33歳のカール・マルクス

ニューヨークで発行されていた当時20万部の発行部数を持っていた急進派新聞『ニューヨーク・トリビューン』のロンドン通信員に。借金に追われるマルクスにとっては重要な収入源だった。マルクスは英語が不自由だったので記事の執筆にあたってもエンゲルスの力を随分と借りたようである。

57歳のペリー

1851年1月、日本遠征の独自の基本計画を海軍長官ウィリアム・アレクサンダー・グラハムに提出していた。そこでは、以下のように述べている。

・任務成功のためには4隻の軍艦が必要で、その内3隻は大型の蒸気軍艦であること。
・日本人は書物で蒸気船を知っているかもしれないが、目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。
・中国人に対したのと同様に、日本人に対しても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」
・オランダが妨害することが想定されるため、長崎での交渉は避けるべき。