29歳のスティーブ・ジョブズ

「Macintosh」を発売。

ジョブズはMacintoshの需要予測を大幅に誤り、アップルは過剰在庫に悩まされ、初めての赤字を計上してしまった。アップルは、従業員の1/5にあたる人数のレイオフ(人員削減)を余儀なくされた。

29歳の水木しげる

大家業の傍ら、副業として下宿人の紹介で紙芝居制作を始める。
水木と同じ変わり者ばかりが入居してきたため、家賃収入は捗捗しくなかった。大家業が中々軌道に乗らず副業を探していた所、紙芝居作家の弟子をしているという青年がアパートに入居した。

一度は諦めた絵に対する熱意もあって、その青年から紹介してもらった紙芝居の貸元に手製の紙芝居を持ち込んで回った。評価は今ひとつだったが、林画劇社という貸元で演じ手の纏め役をしていた活弁士の鈴木勝丸が水木の作品を気に入り、同社の紙芝居作家として採用された。夢にまで見た絵に係る仕事に付いたが紙芝居業は非常に薄給で、ましてや実績のない無名の新人作家にはまともな代金は支払われなかった。

29歳のアラン・チューリング

同僚で数学者・暗号解読者のジョーン・クラークに結婚を申し込んだが、婚約期間は短かった。同性愛者であることをフィアンセに告白しても、彼女は動じなかったといわれているが、チューリングのほうがこのまま結婚はできないと別れることを決心した

29歳の田中角栄

日本国憲法による最初の総選挙となった 第23回総選挙に、新たに設定された中選挙区制の新潟3区から、進歩党が改組した民主党公認で立候補し、12人中3位で当選。

9月に長男正法4歳で死亡

11月に炭鉱を国家管理する臨時石炭鉱業管理法が提出されると、田中は本会議で反対票を投じ、他の14名とともに離党勧告を受ける。同様の理由で除名・離党した民主党議員と共に11月28日結成された同志クラブ(のち民主クラブ)に加盟した。

29歳の中村俊輔

2006年6月、ドイツW杯に選出。当時の代表監督ジーコに中心選手として重要視され、グループリーグ全3試合にフル出場するも、2敗1分で敗退。第1戦のオーストラリア戦で自身のW杯での唯一の得点を獲得。

同年9月には2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに初出場。オールドトラフォードで開催されたグループリーグ第1戦、マンチェスター・ユナイテッド戦にて、今でも語り継がれる伝説のフリーキックによる得点をあげる。

続く対マンチェスター・ユナイテッド戦でもフリーキックを決め、決勝トーナメント進出に貢献。これはセルティックにとって現行のCLとなってから初、日本人選手としても初めての快挙を果たす。

2007年4月、セルティックのリーグ戦連覇が決まり、実質日本人で初めて欧州リーグで連覇を経験した選手となる。2006-07シーズンはリーグトップの12アシストを挙げ、スコットランドPFA年間最優秀選手賞、スコティッシュ・プレミアリーグベストイレブン、スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞を受賞、年間ベストゴール賞も獲得。

29歳のアドルフ・ヒトラー

マスタードガスによる一時失明とヒステリーにより野戦病院に収監、入院中に第一次世界大戦が終結する。ヒトラーは第一次世界大戦がドイツの降伏で終結した時に激しい動揺を見せた兵士の一人であったという。

29歳の土方歳三

八月十八日の政変後、壬生浪士組の活躍が認められ新選組が発足。
その後、新見錦が切腹、芹沢鴨などを自らの手で暗殺。権力を握った近藤が局長となった。歳三は副長の地位に就き、近藤の右腕として京都の治安維持にあたった。新選組は副長助勤、監察など職務ごとに系統的な組織作りがなされ、頂点は局長であるが、実際の指揮命令は副長の歳三から発したとされる。

29歳の伊藤博文

工部省の長である工部卿として、殖産興業を推進する。後にこれは、内務卿・大久保利通のもとで内務省へと引き継がれる。また同年11月から翌年5月まで財政幣制調査のため、芳川顕正・福地源一郎らと渡米し、ナショナル・バンクについて学び、帰国後に伊藤の建議により、日本最初の貨幣法である新貨条例が制定される。

29歳のアインシュタイン

有名な式E=mc²を発表している。この年には、箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができないという、後の一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を考案する。アインシュタインはこれを、生涯最良の名案であると述べている。

29歳の坂本龍馬

1863年

勝海舟の尽力により、脱藩を赦免される。

松平春嶽に千両(一説には五千両 約11億円?)を借りる。

将軍家茂が神戸海軍操練所と神戸海軍塾の設立を許可、同年、海軍塾塾頭をつとめる。