29歳の田中正造(1870年) 江刺県花輪支庁(現・秋田県鹿角市)の役人となる。 解放後、東京へ出てきた正造だったがゆく宛てが無かったところを、正造と同じ下野国出身の早川新斎の薦めで江刺県の役人となった。