30歳の田中正造(1871年)

再び投獄される。

江刺県の役人となった正造であったが、上司・木村新八郎の暗殺事件が起こると正造が犯人にでっち上げられる。
この時、正造は医者が来るまでに木村の応急措置をしていたが、正造の服に血が付いていたことや日頃から上司や他の役人らと言い争いをしていたことから疑われた。
※約3年の投獄後に木村新八郎の息子が無罪を証言したことで釈放される

獄中では厳しい取り調べがあったものの、書物を読んで西洋の政治などを学んだ。