1955年(昭和30年) 紫綬褒章を受章
タグ: 1955年あの人は何をしていたか
幼少期のスティーブ・ジョブズ
1955年2月24日、シリアからの留学生で政治学を専攻する大学院生アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に生まれる。
ジョアンの父が、ムスリムのシリア人であるアブドゥルファターとジョアンとの結婚を認めなかったため、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。
結果、ジョブズはジョブズ夫妻に引き取られることになった。母であるジョアンはジョブズ夫妻が大学卒でないことを知り養子縁組を躊躇していたが、ジョブズ夫妻がジョブズを大学に進学させることを約束したために養子縁組が成立したという。
32歳の司馬遼太郎
『名言随筆・サラリーマン』(六月社)を発表。この作品は本名で発表したが、このほかにも「饅頭伝来記」など数作本名で発表した作品があるといわれる。さらに、友人に勧められて小説を書くようになる。
70歳の正力松太郎
衆議院議員総選挙に富山2区から出馬、当選。
第3次鳩山内閣で北海道開発庁長官
75歳のアインシュタイン
哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名する。