31歳のタモリ

芸能界入りする際、4つの戒律を自らに掲げたという[12]。
1、 誰の弟子にもならない
2、組織には属さない
3、頭をなるべくさげずにカネをもうける
4、色紙にサインをする時は、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない
当時の芸は、イグアナのような体芸、反知性を打ち出した中洲産業大学教授、デタラメ言語ハナモゲラなど、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。
タモリの主なネタ

32歳のタモリ

1977年には、赤塚不二夫、滝大作、高平哲郎らと「面白グループ」を結成。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体であり、まもなく、坂田明、内藤陳、小松政夫、団しん也、たこ八郎、三上寛、研ナオコ、柄本明、所ジョージ、アルフィー、劇団東京ヴォードヴィルショーの一部メンバーも参加。ビートたけしも参加しようとしていたが、たけしはタモリの芸風を嫌ってすぐに脱退したという。
面白グループ旗揚げ公演として、渋谷公会堂で「輝け!第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行う。
1978年にはテレビ出演も増えはじめる。
https://www.youtube.com/watch?v=a4LSFNd9SEk

35歳のタモリ

主婦向けトークバラエティー「だんとつタモリ おもしろ大放送!」がスタート。主婦向けに夜の生活秘話などのきわどいトークで人気を集めるようになった。

徹子の部屋にも主点するようになっていく

 

37歳のタモリ

フジテレビの「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出る。「笑っていいとも」は当初低迷したものの、間もなく人気が沸騰していき、2014年3月31日の放送終了まで31年半続いた長寿番組となった。

この時期、深夜のタモリのイメージを崩さないという目的で深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)も放送開始、これもまた、30年以上続く人気番組となっている。

40歳のタモリ

持ちネタの一つだった昭和天皇の物真似については、1985年5月14日、作家の筒井康隆のパーティーで披露したところ、それが翌週の「週刊読書人」に掲載され、右翼から脅迫を受けることとなり、最終的には所属事務所の田邊昭知社長が半監禁状態で右翼から抗議される事態に至った。

この事件以降、昭和天皇ネタは封印されている。

45歳のタモリ

1990年代以降は、趣味や知識(タモリ本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すように。
『タモリのボキャブラ天国』『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系列)、『ブラタモリ』(NHK)など続々とレギュラーが増えた。
また、テレビドラマにも積極的に出演するようになり、俳優としてのタモリの活躍の場が増えていくことになる。

66歳のタモリ

『いいとも!』初代プロデューサーを務めていた横澤彪が肺炎のために亡くなった。タモリは「夜の番組しか出演出来ないと言われていた私をいきなり昼の真ん中に起用してくれました。私自身は昼も夜も意識したことはありませんでしたが、私で大丈夫なのかと不安でした。『笑っていいとも!』は今秋30周年を迎えます。大変お世話になりました」とコメントを寄せ、恩人の死を悼んだ。